長い歳月の間に二回だけ意図的な嘘を吐いた。

一つは母上が亡くなった時。


もう一つは…







「心配する事など何も無い」

ボロミアはゆっくりと言い聞かせるようにそう言った。

「ですが兄上…」

胸に残る不安を隠せず…隠しもせずにファラミアは縋るような瞳で最愛の兄を見上げる。

「ファラミア。何も心配はいらない」

重ねて告げる兄の厳かな表情は、より一層ファラミアの不安を掻き立てた。

「いいえ…いいえ兄上!これは元々私に訪れた夢です。私が行くべき旅ではありませんか!」

無駄な事だとは知りつつも、何とかして思い留まらせようとしてしまう。
それほどまでに今回の旅立ちは胸を騒がせた。

「その事については何度も…何度も話をしたであろう?わたくしには父上やそなたのような先を見通す能力は無いに等しい。 だからこそこの夢はファラミア、そなたを訪れた。そしてそなたを通してわたくしに告げられたのだ」

「兄上…」

「恐らく口にはされないだけで、父上も御覧になったのであろう。これは執政家の者全員に等しく訪れた夢だ。 そしてこの夢を見て旅立つべきだと感じたのはわたくし一人。…これはわたくしの旅なのだ。わかるな?ファラミア」

「わかりたくなど…ありません」

「…ファラミア」

常に無く聞き分けの無い弟に、ボロミアはほんの僅か表情を曇らせる。 それでもファラミアは引く事無く、声を荒げてまでボロミアに詰め寄った。 何としてもボロミアを行かせてはならないという思いが、尽きる事無く湧いてくるのだ。

「兄上はミナス・ティリスに…ゴンドールに必要な方です!白の塔の総大将たる兄上なくしてどうしてモルドールと戦えましょう。 兵達とて兄上がいらっしゃるからこそ、この状況でも憂い無く戦場に立つ事が、戦う事が出来るのです!その兄上が…どうして……」

こんな予感を抱えたままでボロミアを旅立たせてはいけない。そんな恐ろしい事を絶対にしてはならない。
その思いが止められず、どんな事をしてでも兄を引きとめようと必死で言葉を尽くしていたファラミアが、ふと口を閉ざした。
一瞬言葉を失ない見惚れてしまうほど、それほどにボロミアはやわらかな微笑みを浮かべていた。

「我が弟ファラミア。そなたが成すべきはわたくしの心配ではない。ゴンドールの民の平安をこそ願わねばならない。 執政家の者として、わたくしの弟として…それを決して忘れぬように」

「わ…かって、おりま…す。ですが、私は…わたし、は…」

執政家の重責を理解していても、どれほど民を大切に思っていても、ボロミアに代えられるものなど無かった。
全ての責務を投げ出してでも目の前の兄を引き止めたかった。
何より、命の保証のない戦場に出る兄を見送った時には一度たりとも感じる事のなかったこの胸騒ぎが…押し潰されそうな不安が恐ろしかった。

それでも……

「わかっているのならば、それでよい」

そう言って慈しみの目を向けてくる兄には逆らえないのだ。

自分にはこれ以上ボロミアを引き止められない。
きっと後悔するのだとわかってて見送らなければならない。
同じ思いを、同じ不安を持っているであろう父が、毅然として白の塔から息子を見送ったように。 弟として、執政家の者として、ボロミアの旅立ちを見送らなくてはならない。

「無事のお帰りを、心よりお待ちしております」

胸が引き裂かれるような気持ちでそう告げ、深く 深く頭を下げた。
この世界の何よりも愛している、その優しい笑顔を見るのが、とても辛かった。

「後を頼むぞ、ファラミア」

「お任せください。兄上」

ゆっくりと顔を上げ、無理に微笑む大切な弟にボロミアはもう一度、言い聞かせるように囁いた。

「心配する事など何もない」

「……はい」

必死で自分の気持ちを抑えているであろうファラミアに満面の笑みを向け、高らかに宣言するかのように別れを告げる。

「必ず戻る!希望と共に!」

「兄上!!」

ファラミアの返事を待たず、馬上の人となったボロミアに縋るような思いを込めて叫ぶ。

「お早いお帰りを!どうか…兄上!」

駆け去って行くボロミアに聞こえただろうか。

「母上…どうか、どうか兄上を御守り下さい」

亡き母へと祈る事しか出来ない自分を悔やみながら。ファラミアは何時までも…何時までも兄の去った方向を見送っていた。




「すまぬな、ファラミア」

遠く、ミナス・ティリスを離れてからボロミアは一度だけ馬を止めて振り返った。

「そなたと父上がそれほどまでに案じるのならば、わたくしは生きては戻れぬのであろう。 それでもこれは、わたくしの旅なのだ」

もう二度と目にする事は叶わぬかも知れぬ故郷を焼き付けるかのように、ボロミアはミナス・ティリスを見つめ続けた。

「心配する事など何もない…か。母上が亡くなる時もわたくしはそう言って笑ったのだったな」

自嘲するように笑って瞳を閉じる。
そのまま暫しの時が過ぎ…そして次に目を開けたときには燃えるような決意が瞳に現れていた。

「だが我が白き都を滅ぼさせはせぬ。ゴンドールは必ず護る!」

そう言うが早いか馬首を巡らし馬を駆る。まずはローハンへ、緑なす草原の国へと…


ボロミアは二度と、ミナス・ティリスを振り返る事は無かった。




◇ end ◇



兄弟愛って いいよね。
ものすごく遅筆な私にしては珍しく、一晩で一気に書き上げてしまいました。
…本当に珍しい。どうしたんだ自分。何か憑いてたんでしょうか?(笑)
ちなみにウチのファラミアはボロミアに対しての下心は一切ありません。
だって兄弟だから(笑)




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