静かな廃墟では小さな物音も反響する。 だが目の前にいる男の声は建物内に反響する事なく、 降り積もる粒子のように密やかに室内に落ちていった。 違反者達は我々に発見されない為に、周囲に響かないような声で話す事に慣れている。 それにしてもこの男の声は独特だった。 いや、声だけではない。 物腰も視線も一度見たら忘れないような独自のものを持っていながら、 僅かでも目を離せば周囲に溶け込み逃げおおせてしまう。 そんな油断のならなさを隠し持っていた。 「条件は先程纏めた筈だが」 男から目を離さずに『交渉』とやらの真意を探る。 もちろん提示された条件以上の事を受け入れる事など出来はしない。 この男はそれを承知している筈だ。知っていながら言葉遊びを続けている。 「纏ったさ。正確な時間を決める以外はな」 含みのある言葉で、探るような視線で、話を誘導してくる男の目は 明らかに私の考え方を…いや、私という人間を見定めようとしていた。 「時間延長の交渉か」 「延長とは心外だな。俺は最初から『自分の意志で情報を提供し終わるまでの時間』 を条件として提示した筈だ」 弁の立つ男だ。その言葉の一つ一つが己の望む条件を引き出す為の布石なのだろう。 事態を長引かせずにこの男の持つ情報を得る為には、 ある程度の譲歩を受け入れる必要があると判断せざるをえない。 「何時間要求すれば気が済む?それとも一日では足りないのだと言うつもりか」 「へえ?そう言えば気が済むまで何日でも付き合ってくれるとでも?」 「交渉が決裂するだけだ」 そう答えると男は満足げに笑う。 それは私が条件を受け入れる方向に考えを向けているという事に気付ているから 以外の何ものでもない。 「そうだろうな。まあ安心していいさ、さっきも言ったが俺はそれ程バカじゃない」 「では早めに済ませてもらおう」 「クラリックってのはそんなに気が短いものなのかい?」 「私は無駄な時間を過ごすつもりなど無い」 「模範解答だな」 クク…と声を出して笑う。 だがその表情はどこまでも掴みどころがない。この男は私の知るどんな感情違反者とも違っている。 今までに見てきた事の無い種類の相手だった。 「そんな顔するな。残り時間が分かるようにしてやるだけさ」 その方があんたも安心だろう?と低く囁かれる。 クラリックである私に『安心』などと言葉を掛け、肯定の言葉を引き出そうとする… いや、おそらくはこれも布石の一つなのだろう。どこまでも狡猾な男だ。 「私が『納得』できればそれでいい」 そう答えた私を見つめる男の表情が再び変わった。 瞳の光が強くなり、刃物の鋭さが加わる。 それでいてひどく楽しげに見えるのは、 私という存在が男の中で何らかの位置を占めたのだと推測される。 「なるほどね、自信があるなら納得させてみろって事かい?いいね、あんた最高だよ。 実に落とし甲斐がある」 そう言って低い声で笑う。 だが笑っていながらも瞳の光は鋭さを失わない。鋭いままにその色に深みを加えていく。 「俺は火刑になるつもりは無い。 だからあんたに要求するのは『俺がここで死ぬまでの時間』だ」 「答えとなっていないな。知りたいのは『私がここを出て行くまでの時間』だ」 「それは素敵な質問だ。だが俺に答えられるのはただ一つ。 あんたの腕次第だという事だけさ」 その言葉に挑発的な響きは無かった。少なくとも最後の言葉には。 穏やかで柔らかな物言いに打算や駆け引きの影は見えず、私は珍しく興味を引かれた。 「…詳しく話してみるがいい。その条件とやらを」 僅かな沈黙の後にそう答えると、男は今までとは違う穏やかな微笑を浮かべた。 それは私の返答を、ほぼ望み通りの方向に持って行けたのだという事を意味している。 ここまで来れば、詰めに失敗するような事はまずないだろう。 そんな不注意さなど持ってはいない。 「簡単な事さ。その銃で俺を撃てばいい。ただし即死しない程度にな」 「…出血多量で死ぬまでの間に情報を『教える』という事か」 「物分りの良いヤツは好きだよ。『聖職者』さん」 「『教える』気になるまで生きている程度の出血…それがお前の条件だ」 「大正解だ」 少々意外ではあったが、有り得ない条件ではない。 己の死と引き換えに何かを手に入れるつもりであるのならば。 だが自分の命を何と引き換えるつもりなのか… 「それでどうする?俺の持つ情報を引き出す為に、あんたの腕を試してみるか? それとも後腐れなくこの場で射殺するか?」 この男が何を手に入れようとしているのか。知らないままにはしておけなかった。 このままその「何か」を放置してしまうのは、あまりにも危険すぎる。 「どちらにしてもお前はここで死ぬ。ならば情報は引き出しておくべきだろう」 ゆっくりと右腕を上げ銃口を向ける。 自分に向けられた銃口をじっと見つめている男の目には、もう先程の鋭さは見えなかった。 ただ深い色をした瞳が静かに銃口を映し、 その後ゆっくりと時間を掛けて私に視線を合わせてきた。 男はその目と同じ静かで揺るぎない口調で私に告げる。 「では見せてもらおうか。俺の命をはかる、あんたの腕を」 それは紛れも無く、自らの死刑宣告であった。 |