言葉の行方



さわさわと風が吹き抜けていく音が耳に心地良い。
地上に満ちる闇と、天上に輝く冷たくも柔らかな月の光、そして目前の親友との他愛の無い会話が肴となって、ささやかな酒宴は楽しいものとなっている。

昼間の喧騒を感じさせないこの竹林のせいか、いつもより穏やかな雰囲気を纏った聞仲が静かに言を紡ぐ。

「このような場所での酒宴も、たまには良いものだな」

仕事が終わった途端、攫うようにして聞仲をこの場所に連れてきた飛虎は、その言葉に破顔する。

「そうだろう。オメーはいっつも難しい顔してるからな。こんな風にゆっくりできる時間も大切にしろよ」

特に俺との時間はな、と子供のような顔をして言われ、聞仲は心の底から優しい微笑を浮かべた。
ゆっくりと過ぎていく時間がとても愛しくて幸福だと思う。

空になった杯を満たそうと思えば、手を伸ばすまでもなく酒が注がれる。相手の杯が空になれば、同じように酒を注ぎ返す。
そんな風に過ごせる相手がいる事が奇跡のようだ。
いつまでもこの時間が続けばいいと思いながら杯を重ねていると、飛虎が自分をじっと眺めている事に気が付いた。
どうした?と視線で問い掛けると、慈しみを込めた声で名前を呼ばれる。

「なあ、聞仲」

「何だ?」

低く落ち着いた飛虎の声音を心地良く聞いていると、さらりと言われた。

「好きだぜ」

その言い方があまりにも自然だったので、言葉は何の抵抗もなくストンと心に落ちてきた。 返す言葉が意識するまでもなく口から滑り出る。

「ああ、私もだ」

微笑んで告げると、飛虎は僅かに驚いたような表情をしてから苦笑した。

「意味、わかってんのか?」

「勿論だ」

「…惚れてるって言ってるんだぜ?」

「男相手に好きだなどと、それ以外に何があるというのだ」

飛虎は大真面目に答える聞仲を暫く見つめていたが、そうか、と静かに呟くとゆっくり立ち上がり、聞仲をそっと抱きしめた。
何の抵抗もなく腕の中に収まっているのを感じてから、もう一度好きだと囁いて唇を重ねようとする。

だがその途端、何故か聞仲は飛虎の腕をするりと抜け出した。
完全にいけると思っていた飛虎は虚を付かれた形になり、あっさりと聞仲を手放してしまった。
しかし、それではどう考えても納得がいかない。

「………何でだ?」

そう言いたくなるのも当然だろう。

「それはいらん」

容赦なく色気の無い声が、虚しく宙を抱いた背中に掛かる。何も背後に廻るほど思い切り逃げなくてもいいだろうに…

「だから 何でだよ」

「嫌だからだ」

恨みがましく背後を振り返って視線を合わせると、思いっきり尊大な態度でそう告げられた。…自分も好きだと言ったくせに。
飛虎は不満に思いながらも長年の経験と忍耐から、まあ相手は聞仲だしな…と前向きに思い直し、念の為に気持ちの確認を取ってみる事にした。

「…えーと、聞仲?」

「何だ?」

「俺の事を好きだって言ったよな?」

「言った」

「その…『そーゆー意味』で好きだって言ったよな」

「そうだ」

どうやら聞き間違いではなかったらしい。

「じゃあ何で嫌なんだよ」

「男同士だからだ」

キッパリと言い切られた台詞に、飛虎の思考は思わず止まってしまった。
恐いもの知らずの当代武成王殿は非常に珍しくも、きっかり3秒ほど固まってから恐る恐る目の前の太師に声を掛けた。

「………もしもし?」

起きてますかー?自分の言ってる事分かってますかー?という響きを含んだ問いかけにも、偉大な太師さまは動じない。 まるで学問を指南する時と同様に尊大かつ丁寧な口調で、厳しいながらも幼子を諭すような光を湛えた目で自説を披露して下さった。

「別に、口付けくらいならかまわん。だがそれを許すと、お前はその先を求めてくるだろう?」

「そらーまあ、男だからな」

「それが嫌なのだ」

惜しげもなく披露して下さる偉大な太師さまの自説は、当然ながら一般人には馴染みの無いものだ。
いくら武成王でも元々が庶民に馴染みまくった飛虎にはありがたみのカケラも無い。あるはずがない。無いといったらない。 というか恋愛にそんな自説を持ち込むなと言いたい。
そりゃあもう 声を大にして言いたい。

「…俺達、好き合ってんだろ?」

しかし惚れた弱みというのは厄介なもので、反論は非常に寂しげで情けないものになってしまうのだった。

「いくら好きでも男にどうこうされる趣味はない。よく考えてみろ飛虎、お前だって私にそんな事されたら嫌だろう」

「あたりまえだ!!!」

されてどうする!そんな恐ろしい事をあっさりと言うな!!心にもないくせに! と言葉ではなく表情で思いっきり表現している飛虎を見て、 聞仲は苦笑しながらも優しく言葉を続ける。

「だったら私にばかりそれを求められても困る。そうでなくとも私にはそちら方面の欲求が薄い…道士だからな」

「でも俺達たった今、恋人になったじゃねぇか。愛する恋人同士はそーゆーコトするもんだろう?」

諦めきれないらしいその言葉に、聞仲はしっかりと飛虎の目を覗き込んで真摯な態度で語りかける。

「飛虎、お前は私の身体が欲しいだけなのか?」

こういった時の聞仲は、大抵その態度が及ぼす効力を意識した上での計算を含んでいるのだと、飛虎は長年の経験から十分すぎるほど知っていた。
知ってはいたが逆らう事ができない。これもまた惚れた弱みなのだった。

「んなワケねぇだろうが!そりゃあ、身体も欲しいけどよ。でもそれは心が伴っていてこそ…っつうか、それに男相手に身体が目当てなんて事はありえねぇ」

「ならばそれで良いではないか」

そしてゆったりと微笑むのだ。 太師さまはこれ以上ないほどに目の前の相手の扱いを心得ているらしい。

「う…いやその……そこはその、アレだよ」

「欲張りすぎると元も子も無くすぞ」

「何ィ〜!?そんなケチケチすんな!」

「ケチケチ………そうか、そんなに無くしたいか」

「バッカ何言ってんだよ!!んな訳ねーだろうが!!!」

段々と声が大きくなっていく飛虎の眼前に、酒を注いだ杯が静かに差し出される。

「飛虎よ…そう思うならば少しは落ち着くんだな。何もかも一度に手に入れようとするな。お前の悪い癖だ」

「………まあ そう言われればそうなんだけどよ」

「少なくともお前の気持ちは通じたようだぞ。それでは不満か?」

飛虎はしばらく黙っていたが、やがて楽しげに微笑む想い人から杯を受け取り、深い深い溜息を一つだけ吐いた。

「仕方ねぇな、まぁそれで満足しとくか。…今夜の所はな」

「ほう、少しは考えられるようになったようだな。…だが飛虎よ、明日などもう来ないかも知れんぞ?」

「それならそれで、今夜一晩かけてオメーを口説かせてもらうまでだな」

そう言って一気に杯の中身を飲み干し、返礼として聞仲の杯を一杯に満たした。

「それは困った。今夜は心静かに酒を味わいたいと思っているのだがな」

笑って杯に口を付ける聞仲に、飛虎はようやく彼らしい笑顔を返した。

「それでは心静かに口説かせていただきましょうぞ、聞仲殿」

静かな竹林に密やかな笑い声が響く。
さわさわと風が吹き抜けていく音が、二人の心に心地良く流れていった。



◇◇終◇◇



ああ、何故か途中からお笑いに…(遠い目)
今回は飛虎の告白編です。この時期だと若飛虎でしょうか?やはり太師様のお相手を務めるにはまだまだ経験不足なモヨウ。
しかし、いつも思うんですが、私の書く聞仲さまは可愛げがないですねぇ…





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