深夜、たった一つだけ燈明が灯る中で、青年は直に床の上に正座すると、 意を決して眼前の太刀に手を伸ばした。 触れた途端、雷の直撃を受けたような、強烈な痺れが彼を襲う。 どうにかそれに耐えて封印を破り鞘から刀身を引き抜くと、目の前の空間に「それ」はあらわれた。 「何ゆえ私を呼び覚ました……?」 「それ」は頭の中に直接語りかけてくる。「それ」が人ではない証だ。 「会いたかった。もう一度、側にいて欲しかった……それ以外、理由はない」 青年は、相手の放つ凄まじい威圧感に怯むことなく毅然とした態度で答える。 「他には何も望むことはない、と?」 「如何にも」 「それ」は厳しい表情を、かすかに和らげたようだった。 あたりに満ちていた威圧感が、ほんの少しだが弱まっている。 「どうか…………もしも許されぬ願いならば、今、この命をこの太刀で……」 柄を相手に向け、刃を己の頸動脈に当てながら彼は更に言葉を重ねた。 静寂がこの空間を支配する。 ややあって、「それ」が口を開いた。 「良いだろう……その願い、かなえようぞ………刃を収めよ」 己の力を欲する者こそ数多いたが、力ではなく、自身を望まれたことは初めてのこと。 ふと興味が湧いたのだ。 「お前の望む限り、私は側にあるだろう……」 その言葉を聞いて、初めて青年の表情も綻んだ。 こうして、青年は「それ」を手に入れ、従えることとなったのである。 朝歌市の総鎮守・朝歌神社はこじんまりとした神社である。 朝5時。空気は冷ややかで、思わず身震いしたくなる。 社家・黄家の長男である黄飛虎は、今日もいつものように 白の上衣に浅黄の袴を身につけて、箒を手にすると参道を掃き始めた。 鳥居から奥へ向かって手際よく、丁寧に掃き清めていく。 やがて全てを清め終わり、落ち葉を一所に集める頃になると、 何処からともなくたいそう良い香りを乗せた風が吹き始め、 飛虎が掃くのを手伝うように、落ち葉を固めているところに寄せ集めた。 全ての落ち葉が綺麗に片付くと、飛虎の視線の先に白い光がこごり、小さな球形を形作る。 それは、みるまに大きく成長すると、徐々に人の形を取り始めた。 「聞仲」 飛虎が呼びかけると同時に、そこには先ほどの風と同じ香りを纏った青年があらわれた。 周囲を圧倒する神々しさを持つ彼は、細身の身体に純白の浄衣を着している。 そのシンプルさが彼の神々しさ、そして美しさをも強調していた。 「まだ休んでいても良かったのに」 驚いた素振りも見せずに笑顔で相手を迎えると、箒を両手持ちから片手持ちになおして 優しく相手の白磁のように白くすべらかな頬を軽く撫でる。 その感触を愉しむように、聞仲は瞳を閉じてされるがままになりながらも、 「そういうわけには行くまいが」 と、生真面目にそう言い、すっと右手を伸ばした。 すると、飛虎の背後にあった物置の扉が勝手に開き、中からちりとりが飛び出して、聞仲の手に収まる。 しかし飛虎はそんな光景にも別段驚かない。毎日のことだから。 彼……聞仲こそがこの朝歌神社がいにしえより代々祀り、封じてきた存在。 全てを滅ぼすほどの強大な力を持つと伝えられた神である事を知っているからだ。 多少の超常現象ぐらい起きて当たり前であると初めから割り切っている。 それに聞仲は飛虎にとって、昔から憧れてずっと思い続けた末にようやく手に入れた存在なのだ。 どうして怖れ、嫌うことがあるだろうか。 彼の纏う凛とした香りが自分の側に漂って来ると、何とも幸せな心地になる。 しかしそんなささやかな幸せは、聞仲の声で敢えなく粉砕されるのであった。 「手がお留守だ。早く片付けなければ、また学校に遅刻するぞ!」 実に色気のない一言でしごくあっさりと。 飛虎は現在大学生である。 親の跡を継ぐために神道学科を選択しているのだが、 この学科は何処の大学にも設置してあるようなものではなく、 飛虎は二時間通学を余儀なくされているのであった。 今日は一限、朝9時から授業がある日である。 遅くとも7時の電車にのらないと間に合わない。 しかも、担当教員は大学内でも厳しいことで有名で、出席を朝一番に取るのである。 授業に3回欠席したら単位は修得できず、2回遅刻したら1回欠席と扱われるため、 学生はかなりというか、相当必死にならざるを得ないのだった。 そう言うことを飛虎から愚痴られているため、聞仲は最近はすっかり彼の時間割を把握してしまい、 こうして飛虎のスケジュール管理をするまでになっていた。 「まったく、この私をそのような事に使う者なぞ、前代未聞だ」 しっかりしろ、と説教をすると、聞仲は手にしたちりとりを飛虎の足下に置き、 くるりと背を向けて姿を消そうとした。 普通の人間と同じようにあった身体が宙に浮かび、空気に溶け込むようにゆっくりと消えて行く。 「待った!」 飛虎が慌てて、向こうの景色が透けそうなくらい希薄になった聞仲の身体に手をかけた。 完全にその身体が消える一歩前に、何とか相手の右手を捕まえることが出来た。 「何だ?」 再び聞仲が飛虎の眼前に姿を現す。 「今日、1限休講なんだ。あと、3限も」 「だから?」 「全く授業がないんだよ、今日は」 飛虎は聞仲の手を自分の方へと引いた。 宙を浮いたままの聞仲の身体が、実に簡単に引き寄せられる。 「だったら結構なことではないか。家の手伝いにいそしむが良いだろう」 「つれねぇなぁ……」 冷たい聞仲の台詞に飛虎は苦笑した。 「だからさ……もう一戦、しないかってこと」 相手を己の腕の中に閉じこめて、甘い声でその耳元に囁く。 「どう……?」 美しい顔を覗き込んで見ると、彼は別に嫌ではなさそうな様子。 「いい…か…?」 もう一度問いかけると、聞仲は言葉ではなく、行動で答えを返した。 己の唇を、飛虎のそれに自ら、軽くであったが触れあわせてきたのだ。 「私の気が変わらぬうちに、戻ってくることだ」 嫣然と微笑みそう言い残すと、彼は腕の中からすっと姿を消した。 「やったっ」 小さくガッツポーズを取ると、飛虎は大急ぎで集めた落ち葉の処理を始めた。 一分でも、一秒でも早く、再び彼を抱きしめるために…… ◇◇終◇◇ ◇流より一言◇ 千景さまのサイトで5000HITを踏んだ時のリクエスト「神主の飛虎と式神の聞仲」ですv 飛虎は神職見習い、聞仲さまは飛虎の家が奉っている神様v…究極の下克上ですね♪ まだ続きがありますので、それはまた次回アップさせていただきます。 素敵に美味しいお話をありがとうございましたv |