親子関係の行動術


伝統的な役割分担からすると、男(父親や息子)は客観的な決断をくだす人、女(母親や娘)は主観的な価値観を守る人ということになっている。
性格のタイプと性別が一致していれば、親子問題は大幅に減るだろう,だが、一致していなければ、親子のジレンマは高まる。
その結果生じた問題は長引き、長期にわたる役割の混乱が生じ、その子どもの性格としてはごくふつうの行動を、親のほうがいたずらに心配する結果となる。
たとえば、(思考)型の父親は(情緒)型の息子が「親の志を継いでくれる」気がないらしいと、がっかりする。
型の息子は美術や音楽(それもドラムよりは横笛)といった型の活動を好み、家族や友人から反対されると、すぐに「傷つく」。
父親は息子が浮き沈みの激しい世界では「成功」できないのではないかと思っているが、実際には、その世界で成功するのに十分な感性と才能を持っていることだってあるのだ。
父親が「男らしい」ことを無理にやらせると、息子は才能のない分野で、かえって挫折するはめになる。
また、母親が型で娘が型の場合も問題が起こる。
どこから見ても型の母親は家族がなにを求めているのかいつも気を配っている。
ところが、型の娘はそうした役割には向いていないだけでなく、そんな気配りなどとてもできない。
なお悪いことに、自分は女らしくないと思いはじめるだけでなく、母親がたえず「ほかの女の子と同じ」でないといって押しつける罪の意識とたたかう。
型の娘が勉強のために解剖したいといって蛙を持って帰ってきたり、学校で物理や数学を選んで家庭科や国語を避けたりしたときの、母親のストレスはどれほどだろうか。
型の母親は娘がこんなふうになったのは自分のせいだと思い、「どこで育て方を間違ってしまったのだろう」と考えこんでしまう。
そのほかに型の父親と型の息子、型の母親と型の娘という細み合わせも、役割の問題がフラストレーションを生む。
たとえば、型の父親に何人かの型の子どもがいるとする。
父親を「やさしい」と見るだけでなく、「弱虫」とまで見て、男らしいお父さんでないことを恥ずかしく思う子どももいるかもしれない。