生き返りの秘術
〜反魂の秘薬〜





黄金の森の奥方から届けられた西方の書物には、生き返りに必要な秘薬の調合が記されている。


その書に曰く、秘薬調合に必要な物は 指輪所持者の生き血。イスタリの眉毛。ドワーフの髭。エルフの髪。ホビットの足毛3色。そして人間の体液。 それらを赤ワイン一樽と共に鍋にかけ、ワイングラス一杯分ほどになるまで煮詰め、仕上げには新鮮なアセラスを漬け込む…と。



何の問題も無かった。
必要な物は全て旅の仲間達だけで用意できる。むしろ出来すぎていて信じられないほどだ。

「ガンダルフ…本当にこれで全てなのか?」

何とはなしに不安になってガンダルフを振り返ると、重々しいながらも自信たっぷりな答えが返って来た。

「アラゴルンよお主の言いたい事は分かる。だが本来ならばこれだけの物を全て揃えるという事こそが難しい。 少なくともわしは余程の事でない限り、身体の一部を誰かに与えたりはせぬぞ」


真実を知る者は数少ないが、イスタリは本来ヴァラールに使えるマイアだ。当然ガンダルフも力あるマイアールの内の一人という事になる。 その身は髪一筋、血の一滴たりとも軽々しく他者に与えていいものではないのだ。
勿論イスタリは一人だけではないが、今ではガンダルフ以外のイスタリの行方を探し出す事など、人の身に…いや、生ある者の身には不可能に近い。
そして力ずくでこの老賢者から何かを奪い取ることの出来るものなど中つ国広しといえども……… まあ多分、ガンダルフ自身ですら手を焼く悪戯小僧なホビット二人組くらいのものだろう。

その二人組みも当の老賢者も、戻って来て欲しいと願う相手はたった一人。
大切な…誰より大切な旅の仲間。ただ一人失われてしまった大切な彼の人。

彼が戻って来てくれるのなら、自分は…仲間達は何でもするだろう。
そう思って視線を向けると、生真面目なドワーフが重々しく頷いて見せた。

「それを言うのならばわたしだってそうだ。ドワーフに髭を寄越せなどと言う輩には斧の一撃をくれてやる」

「もちろんわたしもだよ。もっともエルフに髪を切れだなんて言う者がいたら、まず正気を疑うけどね」

「僕達は あんまり気にしないけど…ねぇ」

「そうだよな」

「相手にもよるけど、どうしても…って頼まれたら」

「イヤとは言えないですだ」

気のいいホビット達の微笑ましい会話はともかくとして、ギムリやレゴラスの冗談めかしてはいるが、十分に本気のこもっている言い分はもっともだった。
どうやらこの秘薬の調合には各種族の特長を示すものを必要とするらしいが、必要な全ての種族によほど仲のいい相手を持ち、 その相手を納得させられるだけの、これ以上はないという事情を持った時でなければ、記されている物の全てを手に入れる事はかなり困難だろう。 …というよりも、イスタリや指輪所持者が絡んでいる時点で常人にはまず不可能だ。
だがここには必要な物が全て揃っている。かけがえのない大切な仲間達が喜んで我が身の一部を分け与えてくれる。

運命というのはこういうものなのかもしれない、とアラゴルンもファラミアも思った。 旅の仲間達がボロミアを心から大切に思ってくれているという事、 彼らのおかげでボロミアを取り戻す事が出来るかも知れないという事に涙が出そうなほどの喜びと幸福を感じながら…




この秘薬の調合に問題があるとするならば、まず材料となる物の分量だろう。

指輪所持者であったのは勿論フロドだ。血を摂取する為には多少の怪我をしてもらわなくてはならない。 フロドとしてもそのくらいの事は承知しているだろうが一、二滴ならば兎も角、ワイングラス一杯分ともなると事情が違ってくる。 何しろ彼は指輪戦争以来ずっと体調が優れないのだ。そんな彼に無理をさせる事など、他の誰が許してもサムが絶対に許さない。

「わたしは大丈夫だよサム。そのくらいは大した事ないよ」

「いいえ、いけません!ここで無理をしてフロド様に何かあったら…」

「サム。ボロミアさんが帰ってきてくれる為には指輪所持者の生き血が必要なのだよ。分かっているだろう?」

「勿論です。だからフロド様ではなくおらの血を使うんです!」

「サム!?」

「ほんのちょっとの間でしたが、おらもあの指輪を持ってましただ。あれを使ってオークから隠れた事もあります。 だからおらも「指輪所持者」に当てはまる筈ですだ。どうかおらの血を使ってくだせぇ」

「………サム」

「それに髪の色を考えると、足毛3色分揃えるならおらよりフロド様の方がいいと思いますだ。ですからフロド様は足毛の方を…」

「ありがとう…サム」

「フロド様…」

何やら主従の間で盛り上がっているが、残りの連中も違う方面で盛り上がっていたので、フロドとサムは誰に邪魔される事もなく、 しばらくは二人の世界で幸せに浸っていた。


闇の森のエルフは何時もにまして上機嫌で、楽しげに歌を口ずさみながらくるくると踊っている。 見慣れない人間が目にしたら夢に見そうな光景だったが、仲間達はもちろん誰一人そんな事は気にしていなかった。 彼らにとってはこの程度は日常茶飯事だ。レゴラスは歌いながらギムリを振り返り満面の笑みを浮かべる。

「ギムリの髭は私が切ってあげるからね。その代わりわたしの髪はギムリが切ってくれるよね。」

「それは構わんが、髭は自分でも切れ…」

「ああ楽しみだなぁ♪どのくらい必要なのかな?でもわたしやギムリは必要なだけ切れるけど、ガンダルフの眉毛はどうなんだろうねぇ」

「どう…とは?」

人の話をあまり聞かないこのエルフの言動にすっかり馴染んでしまったドワーフは、会話の内容以外には特に興味を示さないようだった。 慣れとは恐ろしいものである。

「だって眉毛なんて髪や髭に比べて量が少ないでしょう?やっぱり全部同量になるように揃えるのかな? そうしたらきっと両方の眉を全部使っても足りないくらいだよね。 ねえねえガンダルフ、ぜひわたしにやらせて下さい。全部綺麗に剃ってあげますから♪」

「………この、スランドゥイルの馬鹿息子が!!!」

それまで黙って聞いていたガンダルフの雷が派手に落ちたころ、残りの連中の話題も変な方向に向かっていました。


「体液…必要なのは血液ではなく体液か…」

「血液も体液の一種なのですから、それでよろしいのではないでしょうか?」

「いや、わざわざ『生き血』『体液』と別に表記してあるのだ、分けた方がいいだろう。万が一にも失敗は出来ないのだ」

「そうですね。万全を期したほうがよろしいでしょう。となると……」

ファラミアと話し合いながら小声でぶつぶつと呟いていたアラゴルンが突然力強く立ち上がった。

「よし!私はちょっと席を外してこよう」

『何か』を決心したかのような王のその迷いのない表情を見た瞬間、ファラミアの心にこれ以上はない程の物凄く嫌な予感が駆け抜けた。

「だ、駄目です陛下!!それだけは絶対にいけません!!!」

「そ、そうだよ!そんなの絶対にダメだ!!」

ファラミアの切羽詰った表情から『何か』を感じ取ったてしまったらしい、察しの良すぎるメリーも大慌てでアラゴルンに縋りついた。

「離せ!私は何としてもボロミアを取り戻すのだ!!」

「やめて下さいっ!!兄上が穢れるっ!!!」

「そんな生き返らせ方、ぜえったいにイヤだああぁぁ〜〜っ!!!」

「この際、細かい事に拘っていられるか!!!!」

二人掛りで必死で止めるファラミアとメリーを振り切って部屋の外に向かおうとするアラゴルンに、 ガンダルフの雷を爽やかな笑顔で切り抜けてきたらしいレゴラスが、のんびりと声を掛けた。

「ダメだよアラゴルン。焦る気持ちは分かるけど、そんな事をしたらボロミアは君の息子になっちゃうよ?」

「息子………」

その言葉を聞いてアラゴルンはピタリと動きを止めた。

「それは嫌でしょう?」

「ああ、確かにそれではマズイな。……うむ、私とボロミアが親子というのは色々な意味でマズすぎる。…仕方がない、他に何か考えるか」

「そ、そうだよ!!」

「そうですとも!!」

考え込んでしまったアラゴルンを見て心の底からほっとした二人は、ここぞとばかりにその意見に同意する。 アラゴルンと方向性は違っていたが、彼らも大好きなボロミアの為に必死だった。

「ですから陛下、もう一度皆でよく考えましょう。体液と言っても色々な種類があるのですし」

「そうそう。血液がダメなら肉汁ってテも…」

さり気なく物騒な発言が混ざっているが、本人に悪気はない。何しろホビットの比喩が食べ物関係に偏ってしまうのは当然の事なので、 その辺のは誰も気に留めなかった。

「そうだな。だが血液以外となると…」

またしてもぶつぶつと呟き始めたアラゴルン。今度こそ変な発想をされないようにと無難な意見を出そうと考え込む人間一人とホビット一人。 そして事態の行く末を楽しげに見守っているお気楽エルフ。二人の世界に浸っている主従と不機嫌なイスタリ。 ギムリはそんな連中を一通り見廻すと、小さな溜息を吐いてから口を開いた。

「あんた方はさっきから何をもめてるんだ?行かせてやればいいじゃないか。アラゴルンだって人前で涙を見せるのは嫌だろうさ」

「…え?」

「……涙?」

「………」

その言葉に、約3名の動きが一瞬にして止まった。

「泣き顔を見せたくないから席を外すんだろう? 大切な仲間であり、かけがえのない友人であり、主君でもあるアラゴルンの…王の涙を使って生き返れるのならボロミアも嬉しいだろうと思うがね」

「あ…ああ、そうだな」

「そう…ですね」

「それなら…うん」

ようやくその場にほっとしたような空気が流れた。
三人共、妙に汗をかいていたがその辺は見なかった事にするのが大人というものだ。…が。

「そうだよね、もちろん涙に決まってるよね。ああでも『王の涙』なんていい響きだなぁ。流石はギムリ。 皆も君のような詩的で素晴らしい発想を見習って欲しいね」

一人、相手の神経を平気で逆撫でするエルフが混じっていた。
だかここで仲間割れしている場合ではなかった。『キサマ一瞬で会話の内容が分かったくせに何を言うか!!』と心で思っても、 ぐっと堪えるのが大人というものだ。…例え相手が一番年上のエルフだったとしても。

「……まあいい。兎も角、私は一度席を外す。ファラミア、私が戻るまでに赤ワインの手配を」

「……はい、承りました」

「……じゃあ僕は大きな鍋を借りてきます」

何となく無駄に疲労してしまった三人が取りあえず部屋を出ようと立ち上がった時、やたらと騒々しく部屋の扉が開いた。

「お〜ま〜た〜せ〜〜〜〜♪」

そこにはいつの間にか場を外していたらしいピピンが、赤ワインの樽を背中に担ぎながら上機嫌で立っていた。

「赤ワインだよ〜〜ん♪」

小さなホビットの担ぐ大きな赤ワインの樽。それは誰がどう考えても本人が担げるように重さを調整した後… つまりはすでに空に近い状態まで飲んだ後だとしか思えなかった。思わず溜息を吐きたくなったのは一人ではなかっただろう。
そんな周りの微妙な視線には一切かまわず、笑顔で部屋に入ってきたピピンはすでに幸せそうな表情のまま熟睡モードに入っている。

こんな状態で本当に大丈夫なんだろうか…とこのメンバーに未だ慣れないファラミアはかなり不安に思ったが、 熟睡状態のピピンが「ボロミアさん…」と嬉しそうに寝言を呟くと、ふと肩から力が抜けた。
ここに居る全員がボロミアの帰還を心から望んでいるのだと思うと、全て彼らに任せようと自然に思えた。
敬愛する王が「何としてもボロミアを取り戻す」と言ってくれた言葉を信じよう。そう思って新たな赤ワインを手配する為に今度こそ席を外した。

その敬愛してやまないゴンドール王本人が、何となく先行きに不安を感じているとは気付きもせずに…





馳夫さんが何とも言えない人に…あああ、ごめんなさい。
何よりボロミアさんにごめんなさい。
貴方の王は強く優しく思慮深く慈しみに溢れた見目麗しく素晴らしい方だと分かってます。
分かってはいますが、書いてて止まりません。 た…楽しい で す。




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