大地の祝福-1



穏やかに過ぎていく時間は二人にとってかけがえのないもので、その幸福に感謝と僅かな罪悪感を感じながら神界での日々は平穏に過ぎていく。

人界を見守っていくのは生前の仕事にも通じるものがあり、その忙しさすらも二人には慣れたものだった。
何しろ他の神々と違い、たった二人で──場合によっては一人きりで──大国を支えてきた経歴を持っているのである。

自分を鍛える事や快楽を追求する事に現世での時間の大半を費やしてきた他の神々が新たな役目に苦戦している中、二人は着実に仕事をこなしながら、封神前には思ってもいなかった穏やかで快適な日々を送っていた。


一日の仕事を終えて静まり返った泰山府は、一種幽玄な雰囲気が漂っている。
泰山は昼間は主の気性さながらに、賑やかで明るい空気が漂っていて、冥府に通ずる門があるとはとても思えない場所だったが、深夜になると様相を変える。
闇の中に静かに佇み、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出すのは、夜毎訪れる客人がその身に纏う気配と、その時間は他の者を受け入れないという主の意思を表しているかのように…


地上の新月が中天にかかる頃、いつものように二人で酒を酌み交わしていた飛虎は、ふと杯を止めた。

「そう言えば、今日で丁度一年だな」

何時からとも何がとも言わず、独り言のように呟くと、共に杯を重ねていた佳人はそうだな…と、どこか寂しげに微笑んだ。

神界が機能しはじめてから一年。
見守ってきた人界は秩序を取り戻し、新しい国は順調に進んでいる。誕生したばかりのその国は未だ貧しく食料は不足していたが、人々の顔には笑顔が戻り、日々を逞しく生きていた。
それは喜ばしい事ではあったが、大切に愛しんできた我が子を亡くしてしまったのだという事実を改めて認識させられるようで、今でも時折胸が痛む。

飛虎はそんな恋人を優しく抱き寄せるとその美しい金の髪を宥めるように梳き、耳元にそっと囁いた。

「たまには様子を見てみないか?懐かしいあの城を、俺達の殷を…」

そう告げられた聞仲は一瞬驚いた表情をしたが、飛虎の目を見つめると何も言わず静かに微笑む。
『俺達の殷』という言葉が、何よりも嬉しいと…そう思った。

肴を載せていた丸盆に残っていた酒をそそいで作った簡単な水鏡に手を翳せば、波紋がゆっくりと収まっていくにつれ懐かしい場所が映し出される。

閉鎖され、人気の無くなった禁城は寂れてはいたが荒らされた様子は無く、ひっそりと時の流れの中に取り残されていた。

「思ったよりもキレイなもんだな」
「…そうだな、周の者達は殷を、朝歌を荒らさずにいてくれたらしい」
「よかったな」

労わるような飛虎の視線に頷くと聞仲はふわりと微笑んだ。

「ああ。流石にお前の選んだ国だ」
「まあな」

飛虎はそう言って聞仲の頭をくしゃくしゃと撫でまわすと、もう一度水鏡に手を翳した。

穏やかな水面は、聞仲には一年ぶり、飛虎にとっては十数年ぶりとなる懐かしい城の中を映し出しながら、少しずつ場所を移動させていく。
静かで人の気配のない禁城は、かつてのような華やかさも活気も無くなっていたが、それが却って300年の歴史を感じさせる静謐さを醸し出していた。

「懐かしいな」

小さく呟いた飛虎に聞仲は複雑な視線を向ける。

「…いいのか?それで」

どこか沈んだ…哀しむようなその声音に、飛虎は僅かに顔を上げた。

「ん?何でだ」

言いたい事は察しがついたが、わざと何でも無いような態度を取る。
それは気にしなくていい、と言外に含められていたが、聞仲はその優しさに甘える事なく、何時も心にわだかまっていた思いを言葉にして続けた。

「お前にとっては嫌な…辛い思いを残した場所だろう?」

飛虎が最後にこの城を訪れたのは、殷を去ることになったあの日。
聞仲の視線は、大切な家族を二人も失ったこの場所を快くなど思えない筈だ、と告げていた。
思い出したくはないのだろうと…

「まあ、それもあるけどよ。その件に関しては自分でケリを付けたしな」

水鏡に視線を戻しながら、飛虎は穏やかに言葉を続ける。

「気にしてねぇとは言えねぇし、忘れる事も出来ねぇよ。だがな、それでもこの場所は俺の護った場所で、お前と過ごした日々がある…俺とお前の殷だ」

今はもう無いけどな。と笑う飛虎。
何があってもそれだけは変わらないと言うその言葉が、その真っ直ぐな思いが哀しい程に嬉しく、どうしようもない程に愛しかった。




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