水鏡はゆっくりと映し出す場所を変えながら進み、やがて水面は玉座の間へと辿り付く。 幾人もの王を主とした玉座。大国殷の中枢であり、象徴である場所。かつて、その玉座の横に自分達は立っていたのだ。最後の王を共に護って… 静かに佇む荘厳な扉を通り抜け、久方ぶりに目にする広間の中に進んでいくと深い闇の中に違和感を感じた。 「何か…いる」 暗闇に溶け込むような色をしたその『何か』は、その大きさもその姿もどう考えても人ではない。人界の生き物ではありえなかった。 「妖怪仙人か!?」 仙道はそのほとんどが蓬莱島に集まっていたが、人界に残った僅かな妖怪仙人が人里に下りてくる事が稀にある。 もちろんそのような事が無いように、自分達「神」が人界を監視しているのだが、広大な人界の隅に隠れるように住み着いた者や、自分自身が妖怪仙人だと気付かずに生きている者達の存在は、まだまだ残っているのが現状だった。 妖怪仙人ならば今の仙人界である蓬莱島に報告をしなければならない…と席を立ちかけた聞仲の手を飛虎は軽く抑え、改めて自分の傍に引き寄せる。 聞仲は必然的に飛虎の腕の中に収まることになったが、そこは水鏡の間近でもあったので、そのまま大人しく抱きしめられていた。 「いや…違うな。よく見ろ、あれは…」 星々の光だけが僅かに差し込む室内でヒョコヒョコと跳ね回っているのは、見覚えのある黒い小さな姿。 未だ幼い大地の霊獣。 「あいつ…どうしたんだ?こんなトコで」 広間を踊るように跳ねている姿は微笑ましいものだったが、どうも本人は真剣のようだ。 その一生懸命な様子が何だか可愛らしく、また懐かしくもあったので飛虎はのんきに笑っていたのだが、腕の中の聞仲の顔は何故か真剣なものになっている。 「どうした?聞仲」 「あれは、竜脈…だ」 「竜脈?」 それは元々仙道ではない飛虎にとっては聞きなれない言葉だったが、聞仲にとっては馴染みの深いものだ。聞仲は一瞬、何事かを考えるような顔をしてから水面から目を離さずに簡単な説明をする。 「大地の気脈…と言えば分かりやすいか?正確には大地だけではなく、水や大気にもある気脈なのだが。そうだな、霊気や仙気の通り道のようなものだ」 「なるほどね、それを竜脈というのか。んで?その竜脈があそこにあるってのか?」 今まで聞いた事のない話に不思議そうな顔をする飛虎の視線を受け、聞仲はどこか気まずそうな顔をしながら答える。 「あるどころか…あそこには霊穴が封じられている」 「……何だよそりゃ」 「言葉通りだ。霊気の吹き出る穴があの場に封じられているのだよ」 「へぇ、そいつは初耳だな」 飛虎は長年禁城に仕えていたが、霊穴の話は聞いた事がない。 自分が知らない以上、歴代の武成王や宰相も知らないのだろう。ことが仙道の管轄である以上、おそらく王家の者さえも知れされてはいない筈だ。 そう判断すると、同じ事を聞仲の方からも言ってきた。 「…誰にも言わなかったからな。元々封じられているものだから、仙道でも気が付くものは稀だ。だがそれでも、霊気が通じやすい場所である事は変わりはない。殷の繁栄はあの場所に玉座を置いたことにも関係があるのかもしれんな」 霊穴の前にある玉座。 それは権力の象徴にも、王家の神性にも大きな意味を持つのだろう。 国を治める為の実際の力としても、比類ない影響力を与える筈だ。 「それを見越して、禁城をあそこに建てたのか?」 「………そうだ」 聞仲の表情には僅かに罪悪感らしきものが見て取れる。ただ、それが人間には分からない竜脈を殷の為に使った事に対してなのか、その事実を飛虎に黙っていた事に対しての後ろめたさなのかは、自分自身でも分からないのだろう。 「ふーん。それって大地の恩恵を玉座に与え、玉座の威光を国土に伝えるって事だよな。じゃあ玉座が荒れると国も荒れるか…」 その言葉に聞仲は弾かれたように顔を上げた。 「それはっ!!……いや、お前の言う通りだ。霊穴は気を伝える、良くも悪くもな。だからこそ狐はあの場所に入り浸ったのだろう。本来ならば後宮の中から陛下を操るだけで済んだ筈なのだからな」 仙道の力は諸刃の剣だ。ほんの僅かでも使い方を間違えれば、自分自身を傷付ける。聞仲は誰よりもそれを知っていた。知っていて使った力が仇になったのだから、言い訳など何一つ出来はしない。全ては自分の不甲斐なさによるものなのだから。 言葉に出来ない悔恨の思いが聞仲の表情を曇らせる。それを見た飛虎は慌てて次の言葉を繋げた。 「すまねぇ、言葉が足りなかったな。玉座が荒れれば国も荒れるのは当然の事だ…遅かれ早かれな。俺が言いたいのは、そんな中でお前はしっかりと殷を支え続けてきたんだなって事だ。300年もの長い間、玉座を荒らさず国を荒らさずに、霊穴の恩恵を殷に、民に与え続けてきた。お前じゃなきゃ出来なかったと思うぜ。だからそんな顔すんな。お前の民は…子供達はみんな幸せだったろ?お前の横でさ」 そう言って飛虎は更に深く聞仲を抱き寄せ、額にそっと口付ける。 聞仲は密かに微笑んだが、その笑みは飛虎に向けられる信頼や安堵の中にも、どこか寂しげな儚さを含んでいた。 続 |