「あの場所を見つけたのは偶然だった」 聞仲は視線を水鏡に向けながらも、どこか遠くを見るような瞳で呟いた。 「私が仙界から降りて、たった一人残った時の王太子殿下…いや、まだ少年に過ぎなかった陛下と共に戦場を離れ、戦火に失われた都を離れて邑を彷徨っていた時に偶然通りかかった場所…それが今の禁城のあるあの場所だ」 そこで一旦言葉を切ると、遠い昔を懐かしむような表情をしたが、すぐに元の表情に改めると飛虎に視線を戻して言葉を続ける。 「初めは単なる竜脈だと思ったのだ。地表に近い場所を通る竜脈。尤も、それだけでも貴重な場所である事には変わりがない。通常、竜脈は大地の底深くを通っているものだからな」 「うーん…まあ要するに、大地の動脈ってことだよな。そこに都を興せば血流…竜脈だったか?それに乗って…そうだな、例えば新たな政策に対しての天子の意思が途中で損なう事なく民にまで伝わりやすくなる。ついでに民草の要望や天子を敬い称える心、国土に広がる負の気配なんかも玉座に集う者達が掴みやすい。玉座の間から殷の動向の全てを見通せるって訳だ。違うか?」 「その通りだよ、飛虎」 そう言って飛虎を見上げる聞仲の顔には先程と違って、正しい答えを出せた生徒を誉める教師の微笑みが浮かんでいる。 幼い頃に何度も見たその表情は懐かしいと思うし、今になって見ると却って新鮮だったりもするが、未だに子ども扱いされているようで釈然としない。 愛情を向けられているのは確かだからある意味嬉しいとはいえ、ちょっと愛情の種類が違っているんじゃねぇの?と飛虎が思ってしまうのは仕方がないだろう。 まあこの場合は頭を撫でられなかっただけマシだと思わなくてはいけないのかも知れない。流石にそこまでされると切ない。 そんな飛虎の微妙に複雑な心境には気付かないままに聞仲は言葉を続ける。 「だがそれだけではない。霊穴は竜脈よりも遙か大きな力がある故に、仙に連なるものを呼び込んでしまう。仙界と人界双方の仙道や、この地に住む霊獣達。そして妖までもをな」 「ああ、確かにそうだろうな。だから封印されてたのか?」 例え巨大な霊穴といえども封じておけばその存在は隠され、大き過ぎる力が漏れ出て深刻な影響を与える事もない。 少なくとも、人界での許容範囲内ですむだろう。 しかしそれは、あくまでも『封じられていれば』の話である。 「私にはあの霊穴を封じた者の意図は分からん。だが私はあの場所を通り掛った時に違和感を感じ、その存在に気付いた。あのままに放置しておけば、いずれは他の者も気付いただろう。遅かれ早かれな」 気付いて集まってくるだけならばまだいい。最悪の場合は霊穴は開放され、それを手に入れようとする者達の間で争いが起こる。国土に無用の混乱を起こす事にもなりかねない。 「だから管理下に置きたかったって事か。何だ、一石三鳥じゃねぇか」 「飛虎?」 仙界の力は人間の手には余る。 飛虎はそれを知っている。 知っている筈なのに、何でもない事のように話す。まるで仙界と人界の隔たりなど何一つ無いような顔をして。 「霊穴による力の恩恵。官と民との意識の伝達。ついでに仙道や妖の存在の把握とそいつらによる混乱の防止。国を治める者として、お前の判断は正しい。俺でもそうしただろう」 だから考えすぎるな、と言外に告げている。 人界に存在するものを人が使うのは何の問題も無いと。その事で負い目を感じる必要など何処にも無いのだと。 「…お前の場合は判断ではなく、単なるカンでだろうがな」 「違いねぇ」 照れ隠しを込めた皮肉を楽しげに笑い飛ばす飛虎の姿に、癒されていると感じる。 飛虎が聞仲に向ける言葉にはいつも偽りが無い。良くも悪くも本音をぶつけてくる。 だからこそ心に響く。 傍にいる程に、言葉を交わす毎に惹かれていく。 飛虎の言葉に癒された聞仲がようやく肩の力を抜いた時、今まで静かに地上を映していた水鏡が突然、微かな光を放ち始めた。 二人が慌てて水鏡に視線を戻した時、幼い霊獣の周囲を淡い光が駆け抜け、大地に太極を描き出した。 「見ろよ、聞仲」 霊獣から放たれた光はゆっくりと地の底深くに染み入っていく。 「大地の…祝福だ」 それはやがて封じられた霊穴を通り抜け、竜脈に乗って『殷の大地』の隅々にまで行き渡り、恵みをもたらしてくれる。 大き過ぎる闘いによって荒れ果てた筈の国土に予想以上の収穫があったのも、この優しい祝福のお陰に違いない。 きっと、新月の度にこの地への祝福を与えながら、霊穴が他者の手に渡らないように護ってくれていたのだろう。 「あの者は、よほどお前を気に入っていたのだな。だからこそ、今になってもお前を慕って力を貸してくれるのだろう」 目の前の思いがけない出来事をじっと見つめていた聞仲が半ば無意識で呟くと、飛虎はそうかと笑った。 「だとしたらアイツにはちゃんと伝わってたんだろうな。俺がどれだけこの地を愛していたのかが」 飛虎は武成王としても、この国で生まれた一人の人間としても、この大地を深く愛していた。聞仲が護り育ててきた殷というかけがえのない大地を。 その深い想いを感じ取った聞仲は、うっすらと微笑んだ。 心が幸福だと囁いている。 この幸福に気付かせてくれた幼い霊獣もまた殷の大地に生まれた子供。 自分達の愛した国を共に愛してくれる、我が子にも等しいこの霊獣にもう一度会ってみたいと思う。 「いつか…気の遠くなるような時の果てで、あの者がその生を終える時が来たなら、お前の元に向かえてやるがいい」 「おお!そりゃいいや。アイツ確か母親に『娘』って呼ばれてたよな。ここに来たら黒麒麟のヨメさんにしてやろうぜ!可愛いヨメさんが出来て黒麒麟も喜ぶんじゃねぇか?」 聞仲の提案を聞いて、飛虎は嬉しそうにそう言った。 生を終えた者達の行く先を決めるのは、泰山府君である飛虎の管轄となる。多少私用で職権を用いても文句を言える者などは居ない。 正確に言えば、唯一文句を言いそうな相手からの提案なので、誰も異議を唱えないだろう。 「………それは、考えた事が無かったな」 流石に驚いた様子の聞仲の姿を見ながら、飛虎は楽しそうに続ける。 「じゃあ今から考えとけよ。オメェの紹介なら黒麒麟は断らねぇと思うがな」 というより、断れないだろうな…と思ったが、それは言わない方が面白そうなので心にしまっておく事にした。 「それは当人同士の問題だろう。私は立ち入らないぞ」 聞仲はあくまでも本人次第だと言いながら、それにしても…と少しだけ考え込む。 「もしもそうなったならば、随分と大柄な伴侶になりそうだな」 「尻に敷かれるのが目に見えるようだぜ」 霊獣の親の姿を思い出しながら、ひとしきり二人で笑う。 きっと二人の霊獣達が共にいる姿は、傍目には親子にしか見えないだろう。 「でもまあ、意外と上手くいくんじゃねぇの?俺達みたいに…な」 「それはどうだろうな」 上機嫌で口にした口説き文句を即座に否定され、飛虎は僅かに眉を顰める。 聞仲はその不満気な表情を見ると、微笑みながら言葉を続けた。 「例えあの二人の仲が想像以上に良かったとしても、私達のようにはならないだろう」 「…何でだよ」 納得できなさそうな顔の飛虎に、それは…と言いながら聞仲はその広い胸に頭を預けて瞳を閉じる。 思わずその顔を覗き込んでくる飛虎の視線をくすぐったく感じながら、聞こえるかどうかの微かな声でそっと囁いた。 「今の私ほど幸福な者など、他にはいないだろうからな」 珍しく告げられた聞仲からの甘い睦言に驚いた飛虎が水鏡から手を引くと、地上の様子を映していた鏡に波紋が生まれ、一瞬にしてただの水盆に戻った。 だが、消える瞬間に目の端に映ったのは、幼い霊獣の満足そうな姿。 きっと彼の地はこれからもこの優しい愛情を受けていくのだろう。 自分達に幸福を運んでくれたように、彼の国に住む者達にも幸福が運ばれて来るだろう。 幼くも優しい、大地の祝福が続く限り。 終 ちょっと予定より遅くなってしまいましたが…何とか終わりました。 この話を読んでもらえれば分かると思いますが、私は原作での大地の霊獣の親子エピソードが大好きなんです。 だってあの親子って二人の縁結びの神様だしv(笑) 某昔話の主人公に助けられた亀の様に、恩返しがあったら…と思って書いたのが今回の話です。 いや、あの二人を引き合わせてくれただけで十分という気もするんですけどね(笑) ちょっと消化不良気味かもしれませんが、その辺は目を瞑って下さいι ちなみに、「この後が肝心なんじゃないの?」というツッコミは無しの方向でお願いします(笑) |