旗本退屈侍捕り物帳

人斬ノ唄

<序>


障子を閉められたその部屋は時の流れの分らぬ明るさ保っていた。
外が曇りならば昼、晴れならば朝か夕刻か。いずれにしても音がしないことから雨ではないが物の輪郭を捉え難い薄暗い部屋だった。


襖の向こうで中を伺う気配がする。
薄暗い部屋の中で文机に向かっていたその部屋の主は其れに気付いたが返事はしなかった。何事も無かったように硯の上で墨を動かす。
襖が音も無く開き、同時に大きな影が部屋に入り込む。入り込んだ裃(かみしも)姿の男は膝をついたまま後ろ手で静かに襖を閉めた。
大柄な身体を身軽につい、と中へ進めて男は主の背中に向かって礼をする。

衣擦れの音と墨の動くかすかな音がその場の恐ろしいほどの静寂を引き立てた。

男はゆっくりと背を正した。しかし畳の縁のあたりに視線を落とし、目前の蝦茶色の羽織を着た背中を見ようとしない。


「巷で辻斬りが立て続けに起きている」


羽織の男は独り言のように前触れもなく話し始めた。
裃を着た男は話が始まっても全てを予め理解しているので聞き流すような表情で耳に集中する。

「ここ三月ばかり、月夜も恐れず立て続けに。仕手はかなりの剣の使い手である事は間違いないが、腕自慢ではない。斬られた者の中には刀を持たぬものもいる。…最近では戯曲家がやられた」

話を聞いていた男の眼球が動き、片眉が上下する。
昨今から辻斬りとは怨恨か腕自慢が目的で行われるものである。特に連続して同じ仕手が行う場合、それは腕自慢であるのが一般的だ。となると腕自慢に見せかけて何か別の意図が其処にあるのか。男は一瞬にして考えを纏める。
唇を動かす男は淡々と話を続ける。

「幸い、私の『庭』が帰ってきた。そいつを使うがよい」
「…庭には沢山の花が咲いておりますが、いずれの花でしょうか」
「朱(あけい)の弟だ。もっとも血は繋がっていないが」
「黄金色のあの牡丹ですか」
「そうだ。手はずは全て整えている」
「畏まりました。早速『庭』に会って参ります」
「うむ。頼むぞ」


羽織の男は墨を動かす手を止め、首を僅かに曲げて右目で背後の男を見る。
裃姿の男は両手をついて頭を下げるとまた音もなく軽やかに襖を開け、そして閉めた。






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