旗本退屈侍捕り物帳

番外編

<五>

太陽が青空の天辺に達しようとする頃、聞仲は窓から身を乗り出して外を眺めていた。
彼の視線の先には大きな岩が積み重なった山があり、十名ほどの人間が岩の前に立って何かを待っていた。
暫くすると岩の隙間から蒸気と共に勢い良く温泉が噴出し、湯治客が歓声をあげる。聞仲もまた無意識に感嘆の声を漏らした。

「おお…」
「何があったか?」

飛虎が聞仲の肩越しに窓を覗く。聞仲の視線の先を見、吹き出る温泉に気付くと表情を柔らかくした。

「間欠泉か」
「ああ。話では聞いた事あるが、凄いな」
「近くで見すぎると火傷するくらいだからな」
「そうか…」

二人はまだ次第に小さくなっていく蒸気をぼんやりと見つめる。穏やかな太陽の光が心地よかった。
手摺上に立て肘をし、顎を載せている聞仲。彼の金髪は太陽の光を浴びて飛虎の眼に眩しいくらいである。普段の険しさがすっかりと無くなり、別人の様な表情をしている。
飛虎はその姿を眼を細めて見た。この類稀な美貌と姿態の男が昨夜自分の腕の中で啼いたのかと思うと、幸福と満足感で満たされないわけが無かった。

しかし聞仲はその視線に気付くと表情を硬くした。
無機質な無表情になり飛虎の傍らをすり抜けて立ち上がる。昨夜の激しい情交ですっかり足腰が萎えてしまっていたが聞仲は背筋を正して気力で歩いた。

「聞仲?」
「湯浴みしてくる」
「俺も行く」
「お前は此処に居てくれ」

はっきりとした拒絶の言葉に飛虎は言葉を失い、まじまじと聞仲を見上げる。

「・・・・」

聞仲は暫く躊躇ったが言葉を続けた。

「私に優しくしないでくれ」

飛虎は立ち上がり、聞仲に歩み寄る。

「そりゃあどういう意味だ?」
「…此方が勝手に期待してしまうから」

聞仲の落とした視線の先に飛虎の足があった。そのつま先がぴたりと止まる。俯いた額の辺りに飛虎の視線が痛いほど感じた。怒っているのか戸惑っているのか分からないが重い気配が聞仲を息苦しくさせた。

「…聞仲、顔を上げろ」

溜息混じりの呆れた声が頭上から降ってくる。まるで叱られた子供のように聞仲は俯いたままである。もう一度同じ事を飛虎が繰り返したが金髪の頭は一向に上がらない。

「お前さ、もしかして俺が昨日のアレは火遊や場の流れだったって言いたいのかよ」
「・・・・・」

沈黙は肯定だった。
飛虎は腕を組み、また深い溜息を吐いた。

「俺ってそんなに信用が無いのか?」
「・・・・・」
「ま、確かに身持ちは良いとは言えないけどよ…でも俺は二股も不倫も青姦もした事ねえぞ」
「・・・・・」
「分かった。証拠を見せてやる」

飛虎は部屋の隅に屈むと僅かな手荷物の中を探り始めた。
薄紅色の紙に包まれた小さな物を手にすると、相変わらず俯いたままの聞仲の手を取り、無理に握らせた。
軽く平たいそれの中身が推察つかず聞仲はじっとそれを見る。飛虎は顎を動かして促した。

「開けろよ。俺が伊達や酔狂じゃないって事証明してやるよ」

そっと丁寧にあけると其処には櫛があった。
漆塗りの深い臙脂色に、椿の螺鈿細工。一見地味だが、質の良い物である事は直ぐに分かった。それは二人で解決した事件の最中に飛虎が上野の櫛屋で買ったものだった。
弾かれた様に顔を上げる聞仲。見上げれば意地の悪い笑顔を浮かべた飛虎がいた。

「まさかこれの意味が分からないほどオボコじゃねえだろうな」

慌てて聞仲は金髪が揺れるほど激しく首を横に降った。
飛虎はほっと息を吐き出すと人差し指で鼻を掻く。口調も静かな、そして気恥ずかしさを隠せないものになる。

「その…此処で渡そうと思ってたんだ。お前に櫛なんて要らないのは分っていたけれど、でも似合うと思ったし、俺の気持ちを形にしたくって…。本当はこれを先に渡さなくちゃいけなかったのに先に抱いちまって…」
「飛虎…」
「済まねぇ。お前が勘違いしても仕方ないよな。俺の方が怒るなんて間違ってた」
「良いんだ。もう良いんだ、飛虎」

聞仲は涙がこぼれそうになるのを必死に堪えてぎこちない微笑を浮かべた。
櫛を両手で握り締め飛虎を見上げる。

「ありがとう。本当に、嬉しいよ」
「遠慮はいらないぜ。お前の気持ちも確かめないまま勝手に買ったんだから…」
「そんな事言わないでくれ。私はずっと誤解していたのだから」
「え…?」

目を丸くする飛虎を見て、聞仲はくすりと笑いを漏らした。

「お前の刃を受け止め、許婚の仇を討たせなかった私なんかを想ってくれる訳無いと思っていたんだ。任務の為に私に優しくしてくれるお前の態度が辛かっ」

聞仲の言葉は突然飛虎の胸に抱き寄せられて途切れた。
広く暖かい胸を肌で感じ、力強い腕に包まれて聞仲の頬は桜色に染まる。
こめかみに飛虎の口付けが一つ与えられた。

「馬鹿野郎…。俺は始めてお前に会った時からお前の美しさに目を奪われたんだよ。賈氏を殺された怒りを納めるほど、お前は綺麗だった。憎むなんて出来なかったよ」
「飛虎…」

聞仲の腕が飛虎の背中に回る。二人は類まれな互いの瞳の色をじっと見つめ、それから引き寄せられるように深い口付けをした。
互いの髪を引き寄せ、舌を絡ませて、唇を甘く吸い上げ、そして決して短くは無い時間が経ってから名残惜しげに唇は離れた。

「一緒に温泉に入ろう」
「何もしないって約束してくれるか?」
「安心しろ。此処には個室があるんだよ」
「・・・・!」

絶句する聞仲ににやりと助平な笑いを見せると飛虎。

「のぼせたら俺が抱いて部屋に連れてきてやるから」

発情した雄の目に、聞仲は心の中で降伏した。

「この助平野郎」
「何とでも言え」

二人は共犯者の笑みを浮かべて手ぬぐい片手に部屋を出て浴場に向かう。
二人きりの露天風呂で一体どんな甘い声が聞こえてきたのか、そして聞仲が本当にのぼせたか否かは彼らだけの秘密である。


<終>




大変お待たせしましたが、最後はラブラブで終わらせてみました。
「新婚旅行といえば熱海!」という事でベタにしてみました(笑)。本編では書けなかった二人の過去を書けてすっきりしました〜。
久しぶりに18禁話書いてみたのですが色っぽい聞仲様には程遠かったです。温泉Hを書きたかったのですが挫折しました。その続きは脳内妄想で補ってください(苦)。
こんな粗品ですがどうか受け取ってください。





龍騰虎躍・裏さまにて、流さんが6955番を踏んだ時のリクエスト長編小説&書き下ろし番外編を頂いてしまいました!!待ちに待った熱海の新婚旅行編ですよ〜〜vv(喜)。楽しませて頂きましたvv。
二人には、こんな出会いがあったのですね…(しんみり)
この番外編を読んでから本編を読み直すと、以前は気が付かなかった二人の微妙な関係&心の動きに色んな妄想を膨らませてしまうのは私だけじゃないはずです(笑)
ラブラブ新婚カップルの二人にご馳走様でした。で、でもッ!脳内妄想で補完ってそんな〜〜(笑)。
私のわがままを聞いてくださいまして、本当にありがとうございましたm(_ _)m。聞仲さま、めっさ可愛かったです。温泉で○○編、楽しみにしておりますね♪(冗談です・笑)



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