ライフスタイルの違う相手とうまく付き合うには


(規範)型はなにごとについても意見や計画やスケジュールを求めて(柔軟)型を戸惑わせる。
一方、型は生死にかかわる問題は別としてーいや、ときには生死にかかわる問題ですらー成り行き任せでのんきに対処できることを、型に無理やり味わわせる。
どちらの性向が正しいとか間違っているとか言っているのではない。
型には、なんでも重大問題にせず肩の力を抜いたほうがよいという気にさせてくれる型が必要であり、型には、ほどほどにきちんとして、物事を最後までやり遂げる手助けをしてくれる型が必要なのだ。

規範()型と柔軟()型はつい表われてしまう


型と型が人間関係でもっとも緊張を生みやすい性向だが、それはなぜなのか。
一つの理由は、ほかの三対の性向と違って、ふだんの生活でつい表われてしまう性向だからだ。 それだけ人間関係に影響を及ぼしやすいといえる。

たとえば、型の言い方を三つあげてみよう。

「フェリーニの新しい映画を見たよ」

「あのフェリーニの映画は評判だね」

「フェリーニの映画が初日だよ」

いずれも本人の判断はまったく入っていない。フェデリコ,フェリーニをどう思っているのか、その映画をどう評価しているのか、まったくわからない。判断を加えずに状況を説明するだけなのだ。

次に、型の言い方を三つあげてみる。

「フェリーニの映画はちょっと長いけど、すばらしいできだよ」

「フェリーニの今度の作品はオスカーをとると思うね」

「フェリーニの新しい映画は絶対に見たほうがいいよ」

いずれもフェリーニのその新作映画をどう思っているかよくわかる。型に比べて、かなり断定的だ。

型の男性が家で型の行動をとってみようとしたことがある。
すぐに決断をくださずに、「情報を集め」、それに従って答えを出そうと思ったのだ。

彼は居間で妻にいった。「夜食に桃なんかどうだい?」。
それに対して型の妻はこう応じた。「もうずいぶん桃を食べてないわね」(これはいうまでもなく判断ではなく理解である)。
キッチンにいた夫は、自分の提案に対する決断を求める型なので腹を立てた。
「わかりきったことをいうな」と皮肉な口調でいい、冷蔵庫の扉をしめると、「食いたきゃ自分で食え」とひとりごとをいいながら出ていってしまった。
妻は、案の定、10分ほどたってから、「桃はどうしたの」といったのである。

これは型と型の典型的なコミュニケーションである。もっと正確にいえば、コミュニケーションの食い違いである。
型が判断を求めたのに対して、型は理解を示しただけなのだ ー もっとも、その理解には「そうね」という意味がこめられているのである(もし食べたくなかつたら、こう答えたはずだ。「桃はこのあいだたくさん食べたじゃない」)。
この種のフラストレーションは日常生活をぎくしゃくさせる。
型は型を不愉快で独断的で狭量だと思いがちだ。
型は型を信じられないほどとりとめがなく集中カに欠けると思う。
要はバランスである。型と型のどちらが強すぎてもいけない。

問題解決



型:自分がいつも正しいと思うな。


なかなかそう思いにくいだろうが、意見の衝突を解決したければ、これが肝心だ。
型はなにごとも白か黒か、正しいか間違っているか、はっきりさせたがり、相手の反対意見をなかなか受け入れられない。
自分も正しいと思っている相手とは折り合いをつけにくい。

型:自分の立場をはっきりさせよ。


型は賛否両論どっちもなるほどと思うので、どちらにも与した意見を言ってしまうことが多い。
それが時にはわざと反対の立場をとる形となって表れることもある。
融通がきき順応性はあるが、必ずしも問題の解決には役立たない。かえって論争をたきつけることもある。
こうと思ったことがあれば、自分の立場をはっきりさせて守ったほうがよい。