旗本退屈侍捕り物帳

人斬ノ唄

<弐>

その夜天化や姫発の馴染の飲み屋に下町の男達が集まった。
最初は仕事帰りの職人やら、隠居した老人まで数多くの者がいたが、時が経つにつれてある者は酔いつぶれ、ある者は妻に叱られるのを恐れ、ある者は明日の仕事の為に家路に去っていった。
そうして残ったのは飛虎、天化、発と聞仲だった。
意外にも聞仲は酒に強く、頬は赤くしていたが呂律もおかしくなる事無く三人に付き合っていた。むしろ天化や発は最初に飲みすぎたせいで潰れる寸前で会話も次第に変になっている。

「だからね、聞仲さんっ。こいつと比べたら俺はまだマシだと思うワケ」

発は手酌をしながら話し始めた。手元が狂って酒がこぼれたが一向に気にせずに酒を舐める。

「確かに俺も次男坊で元服してから何にもしてないけどさ、けど俺は飛虎みたいに養子先を二回も追い出されていない。博打は…ちっとだけしているけど喧嘩はしてないぜ。
剣は習ったけど筋が悪いんだ。だから刀は差しているけどヤットウなんざしないぜ」
「発は筋が悪いんじゃなくて努力しないだけさ」
「そんなことねぇ。年下のおめぇにいつも負けているんだぜ」
「それは俺っちのほうが先に習っているからさ」
「おい、待てよ。俺がいつ喧嘩しているだと?」
「だってそうじゃねえかよ。この前だって腕自慢の浪士と上野で喧嘩したじゃないか」
「あれは茶屋の娘が俺に岡惚れして、嫉妬したあいつが斬りかかって来ただけだ」
「そうそう。それさ。あんたはいつも女で失敗しているな」
「…それを言うなよ」
「聞仲さん、知っているさ?―――あ、まだ言ってないさね。オヤジったらさ、養子に行ったのにそこの内儀(妻の事)や妾に惚れられたりして結局二回も実家に突っ返されてやるの。恥ずかしいさねぇ…」
「オヤジって呼ぶな、天化。確かに俺とおめえは義兄弟の仲だがなんで俺がお前の親父にならなくちゃいけねえんだよ」
「いちいち細かい事気にしないさ」
「そうだっ!良い事言ったな、天化!細かいコトなんざ気にすんな!男は心意気だ!江戸の女は俺のもの!」
「わわっ、徳利持ったまま暴れるんじゃねえっ!零れるっ」


酔っ払いと化した姫発、その姫発の持っている徳利を取り上げる天化、そして袖で上から降ってくる酒を避ける飛虎をじっくりと観察すると聞仲は数分振りにやっと口を開いた。

「あの…。もう夜だし、帰らないか?」

至極真面目な発言に、三人は我に帰り素直に従った。



****




「あれ?今日は吉原に行かないの?」

発は身体を半分天化に預けながら先を歩く飛虎に問い掛ける。
飛虎は足を止めると振り向いて苦笑した。

「今日はアレも酔っぱらっちまったから止めておくよ」

天化と発が同時に大声で笑った。
月夜に酔っ払いの笑い声が響く。その時、聞仲が微かに顔を曇らせたのを三人は気付いていない。

「じゃあ今夜はどうするさ?俺のところで泊まるさ?」
「いや。…なあ、聞仲。お前さんのところに上がっていいか?」

振り向いた飛虎の目がその時だけ素面になったのを聞仲は見逃さなかった。

「ああ。布団は無いが座布団ならある」
「じゃあ頼むわ」
「なあ…今夜も帰らないの?いい加減実家に帰えらないさ?」
「五月蝿い。今ごろ帰ったらまた兄貴と旦に怒られちまう」
「ははっ、相変らずお前は弟に弱いなぁ」
「そうだよ。俺に言わせりゃ人斬りよりもあいつの方が恐いぜ」

発が心底恐そうに言うと天化と飛虎は声を出して笑った。



****




聞仲の住んでいる家は一応一軒家であったが庭はなく、居間と寝所と台所だけの小さなものだった。寝静まった近所に遠慮して小さな声で別れの挨拶をすると聞仲と飛虎は扉をそっと開けて部屋に入った。
先に上がった聞仲は一つだけ行灯に明かりを点す。
薄暗いながらも互いの顔を見る事の出来る明るさになった。聞仲は半纏を脱ぐと飛虎の前に正座した。
何時の間にか飛虎は酒の余韻も抜けている。先ほどのまでの彼からは想像できない真面目な顔をして聞仲を見据えた。
また聞仲も町人らしい動作を捨て去り、俊敏な動作で背筋を伸ばす。

「挨拶が遅れて申し訳ない」

聞仲が頭を下げるのを飛虎は片手を出して止めさせる。

「堅苦しい挨拶は結構だ。二度目なのだからな」
「…憶えていらっしゃったか」
「忘れられねえよ、お前みたいな美人」
「貴方は随分様変わった」
「ああ…。許婚が死んで以来、変わっちまったよ。養子も失敗したしな」
「先ほどの話は真だったのか」
「まあな…。そう言うお前も色々とあったらしいな」
「義姉の事か」
「あの時に仲裁に入った女性だろう?…任務中に亡くなられたそうだな」
「彼女が亡くなったのは七年も前の事。修行の旅に行っている間に悲しみも癒えました」

そう言いつつも飛虎の目には聞仲がまだ彼女の死から立ち直りきれていないように見えた。
行灯の光を見て小さなため息をついている姿はたまらなく儚げだった。
暫く無言が続いていたが、聞仲が視線を上げた。

「済まない。…まだ互いの確認をしていなかったな」

聞仲の顔は本来の表情に戻っていた。
飛虎も気持を引き締めなおす。

「貴殿の名を申されよ」
「武成王。おぬしは何処の『庭』か」
「『西』。名は太師」


それは幕府開闢以来の人知れず伝えられてきた名乗りの儀式。


「『西』に代わり申し付ける。拙者の手足となり助けよ」
「承知。貴殿を『西』より使わされたと承った」

この瞬間、二人は『西』からの命を受け、任務を始める。
黄飛虎は『西』からの代理人・武成王となり、聞仲は武成王を助ける太師となった。
そして『西』とは、江戸城西ノ丸の主人の事を指す。
西ノ丸――――徳川幕府次期将軍が住居する場である。






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