旗本退屈侍捕り物帳

人斬ノ唄

<六>

飛虎が永代橋を渡り、聞仲の家に帰ってきたのは夜も深けた頃であった。
まるで我が家のような態度で戸を開けて家に上がると聞仲が正座をして飛虎を待っていた。

「待っていたぞ。遅いではないか」

少し不機嫌な顔をした聞仲はまるで十代の娘のようだった。しかし胸の中には抑えきれない興奮が存在するらしく、怒っていても全く迫力が無い。飛虎はその愛らしさに少々苦笑いを浮かべてしまった。幸い部屋の灯りは現代のように明るくなかったので相手には気付かれなかった。

「済まねぇ。ちょっと事件について馴染ン所に行ってたんでな…」
「私も今日、新しい情報を得てきたのだ」
「ほう…じゃあお前の方から先に聞こうか」
部屋に上がり、羽織を脱ぐと飛虎は聞仲の前に座った。
茶を煎れ、飛虎の前に置くと聞仲は午後の出来事を語り始めた。



****



庭師としての仕事を午前中に終えた聞仲は日本橋へ向かった。
日本橋は江戸の中心であり、東海道など、中仙道を覗く街道の始発地である。現在の東京と異なり、北側には築地に移動する前の魚河岸があり川には小船が行き交い、魚の匂いが漂う。
日本橋から京橋にかけた辺りが江戸で最も栄えた繁華街であり、中心地である。因みに現在の三越や松坂屋などもこの辺りに店を構え、その歴史を始めている。東西の陸路と回路を経てやって来た商品と人馬が行き交い活発な町並みを聞仲はゆっくりと通り過ぎた。

更に江戸城近くへ足を進めると辺りは静寂な武家地になる。江戸城に近くなれば身分の高い譜代大名の江戸上屋敷や旗本屋敷へ、外れて行けば外様大名の屋敷となっている。

聞仲が向かった家は武士の家としては比較的小さなものだった。しかし庭も門もあるので町人のものと比べればずっとしっかりとしている。
当時は敵に家を知られない様にする為に表札はないが聞仲はその家を以前にも行った事があったので迷わず門を通り抜け、玄関を開けた。

「お頼み申し上げる」
「はい、ただ今」

そう言って出てきたのは美しい既婚女性だった。
聞仲や御園とはまた異なる、落ち着いていてはっきりとした顔立ちの女性は聞仲を見るとにこりと微笑んだ。
「これは聞仲様。お久しぶりで」
「こんにちは、高蘭英どの。お元気そうだ」
高蘭英は聞仲の訪れた男の妻だった。美人で一見勝ち気かと思えるが嗜みのあり、武家の女性らしく夫を立てる献身的な彼女に聞仲は好意を持っていた。

「ええ。お蔭様で夫も私も息災でございます。夫は庭に居りますので御案内いたします」

聞仲が言うまでもなく彼女は来訪目的を察し、立ち上ると聞仲の先を歩いて庭へ案内した。
時代劇に登場するような斬り合いが出来るような大きなものではなかったがその家の庭は小さいながらも整然と整えられており、庭師としての目から見ても中々の出来であると聞仲は感心した。

「お前様。聞仲様がいらっしゃいました」
高蘭英の声に呼ばれて盆栽の手入れをしていた男は二人のいる縁側に振り向いた。
男は聞仲を見るとあわてて縁側に走ってきた。

「申し訳ございません、つい庭弄りに夢中になっており気付きませんでした」
「まあ、あなたったら。済みませんね、聞仲様。張奎ときたら最近暇さえあればこんな調子ですのよ」
「ああ、そんな恥ずかしい事を言っていないでお茶を用意してくれよ。みたらし団子も忘れずにね」
「はいはい。畏まりました」

高蘭英はくすくすと笑いながら部屋を下がった。男は聞仲を障子の開かれた部屋に案内し、座ると深く頭を下げた。

「お久しぶりでございます」
「そんな風に頭を下げないでくれ、張奎。お前はもう私の部下ではないのだから」
「いいえ。僕は今でも心の中で聞仲様を主としております」

男は頭を上げるとしっかりと聞仲を見た。童顔で小柄な体つきではあったが張奎の目は立派な一男子だった。
聞仲は久し振りにその曇りの無い目を見て満足げな表情をした。彼は以前と変わらなかった。
時を見計らった高蘭英が自らほうじ茶と夫の好物のみたらし団子を持って部屋に入る。張奎の言葉を待たずして一礼すると彼女は部屋を直に去った。再び部屋は張奎と聞仲の二人になる。

張奎は南町奉行所の同心である。しかし以前は聞仲と同じように幕府に仕える『庭』の仕事をしていた。
聞仲を崇拝に近いほどに尊敬し、主従関係を結び聞仲の片腕として一部の者達には名を知られた。つまり聞仲の右手となっただけあり優秀な『庭』だった。
ところがある日幼馴染の高蘭英と再会して恋に落ちてしまったのだ。聞仲に堅気になる事を進められた彼は悩んだ末、妻と一緒に江戸で一からやり直す事にした。
偶然、跡取りの居ない奉行所勤めの侍を探し出して養子になる事で張奎達は新しい身分と安定した収入を得るようになった。
それから数年、今は穏やかな日々を過ごしているが聞仲とは連絡を絶やさず、過去と同じ様に聞仲を尊敬している。

午後の穏やかな陽光が庭を照らし、光が部屋にまで差込む。
雀が地面に降りて可愛らしく囀っていた。このまま世間話や過去の思い出を話するのこれ以上ない環境だった。
しかし聞仲は気分に区切を付けると表情を改めた。張奎も背筋を伸ばし直す。

「…昨今巷を騒がせている辻斬りについて調べている」
「やはりその為にいらっしゃいましたか」
「何かお前が得ている情報はないか」
「ええ…先月は南の月でしたから加茂屋番頭の平助と常盤津のお光の事件については僕も多少調べました」

ここで張奎の言う南とは南町奉行所の事を指す。奉行所は南北が月交代で江戸を取り仕切っている。今月は北町奉行所の担当なので張奎は休みである。

「平助もお光も一太刀です。平助は骨まで断たれていましたし、手慣れでもない限り出来ないです。
この辻斬りについては奉行所も仲間も興味を持っていましてね。偶然北町奉行所の知り合いに会ったので他の事件について色々聞きました。平野十兵衛等三名の浪人については…」
「単なる腕試しの辻斬りであろう?」
「ええそうです。聞仲様も調べていらっしゃるようだ。それならば話が早い。
つまり残りの四人の町人については良く分らない…というのが奉行所で知られている事ですが実は僕はある事に気付いたのです」

聞仲の目が鋭く光る。無言で続きを促す。

「どうやら最後に斬られたお由紀ちゃんに恋人がいたみたいです。
実はお由紀ちゃんの働いていた十三屋は蘭英が良く使っている櫛屋で蘭英がお由紀ちゃんのことを大変気に入っていたのです。
僕も何度か彼女に会った事あるのですが気立ての良い娘さんでした。それで、最近僕らで良い相手を見つけようと縁談を持ち掛けたのですが恋人がいるからと断られましてね。
その後僕が奉行所の仲間と一緒に深川の外れに飲みに行った時、綺麗な格好をしたお由紀ちゃんを見かけました。多分、恋人に会いに行く途中なのだなと思って声は掛けませんでしたけど。
深川と言えば常盤津のお光も戯曲家の新見大蔵が住んでいますし、平助も大店の番頭なので辰巳によく出入りしていました。もしかするとお由紀ちゃんはこの三人の殺人を目撃して犯人に殺されたのではと僕は思っています」
「…そうか。四人を繋ぐ糸は深川か」
「そうかもしれません。あと、それから報告書を読んでいてもう一つ気になる事が」
「新見だけが部屋で斬られた事ならば知っているが」
「いいえ、それではなくて。その、大した事は無いのですが…」
「構わない。話してくれ」
「お光だけが斬られたのが夕刻なのです。他は全部夜に斬られているのに彼女だけが日が沈む前に斬られています。それだけの事ではありますが…」
「いや。些細な事ではない。きっと何か意味が有るのだろう。有り難う、やはり現場で働いているお前の所に来て良かった」
「聞仲様にその様なお言葉を頂けるなんて感無量です」

そう言いながら張奎は額を畳に付ける様にして礼をした。聞仲は慌てて近寄り、肩に手を当てて張奎の上身を起させる。

「そんな風に頭を下げないでくれ。侍の姿をしたお前にその様な態度を取らせてしまっているのを誰かに見られたら大変だ。頭を上げてくれ」

張奎が顔を上げると聞仲の整った顔が微笑みを浮かべて自分を覗きこんでいた。
けっして女性的な面差しをしているわけではないのだが至近距離で見詰められると心拍数が上がってしまう。
頬を赤くして呆然と自分を見詰める張奎の様子に聞仲は首を傾げた。

「どうした?」

張奎は我に返ると聞仲から離れた。軽い咳をして話題を変える。
「い、いえ。大丈夫です。…ところで聞仲様、今回はどなたが『西』からいらっしゃっているのですか?」
ぴくりと聞仲の片眉が動く。複雑な表情をして畳の縁に視線を落す。腕を組み、うめく様に呟いた。
「武成王だよ」
武成王とは幕府のごく一部のものだけが知る役職名である。太平の世になってからは世襲制の役職になっており某家の嗣子の事を指すのだが…。
「武成王は現在不在のはずではなかったのですか?」
「三年前に、急にふらりと実家に戻ってきたところを上様が任命なさったのだ」
「はぁ…」
張奎は戸惑いを隠せず気の抜けた相槌を打つ。武成王を世襲するあの家は屈指の名家であり、嗣子ともなれば屋敷から抜け出す事すら簡単ではないはずなのだ。
そこで張奎は不可解な疑問が頭に浮かんだ。

「…何で武成王様ともあろう方がわざわざ自ら調査なさるのですか?」

武成王とはあくまで『庭』の上司役にあたり、実際に現場に赴く必要はない役職だ。先ほど張奎が「誰が『西』から来ているのか」と質問したのは誰が武成王の代わりに上様に報告するのか、という意味で質問したのであって実際に動くのは『庭』だけのはずだ。
聞仲は複雑な顔をして溜め息をつく。

「張奎は今度の武成王を知らないのだな」
「ええ。先代の方は存じておりますが」
「今度の武成王は調子が狂う。あまりにも今までと違って…」

そこまで言って聞仲の言葉が止まる。
いつも一緒に居るから。
『庭』としてではなく、一人の人間として自分を扱ってくれるから。
誰とでも自然に打ち解ける武士らしからぬ優しさを持っているから。
穏やかさと優しさの中に役目に徹する厳しさがあるから。
あまりにも今までと違うから。
だから…?

聞仲は唐突に思考を止めた。
理性が思考を止めろと引き止めたのだ。視線を庭に向けて緑の木々を見詰めて態度を取り繕う。

「…今までの武成王とは違うけれど、下手な仲間よりも行動力はあるよ」
「聞仲様がそこまでおっしゃるのならばきっと凄い方なのでしょうね。今回は僕がお手伝いする必要も無いようですね」

張奎は聞仲が言葉を止めて考え込み、そして言葉を濁した事に気付いたが敢えてそれに気付かぬフリをした。



****



「張奎の話ではお由紀には深川に恋人が居た。そして彼らの線を結ぶのは深川だという奴の考えも恐らく間違いないだろうと私は思っている」
「その、夕刻に斬られたお光もの事は気になるな」
「ああ」

聞仲は飛虎に武成王云々の会話を省いた事件についての会話を簡潔に説明した。
時に飛虎が事細かに質問してきたので全てを話し終えた時には手元に置いてあった茶は温もりが逃げてしまった。
一口飲んで味が落ちてしまった事に気付いた聞仲は飛虎の湯飲みも手にとると火鉢の端に飲み残しを捨てて新しく茶を入れ直す。
飛虎は顎に左手を当てて畳に視線を落す。顎に手を当てている時は飛虎が頭の中で考えを巡らせている時なのだと聞仲は知っていたので湯飲みを飛虎の視界に邪魔しない場所に差し出した。
そうして自分も茶を飲もうとすると飛虎が顔を上げて聞仲を真正面から見据えた。

「やっぱりな…。お由紀にも深川に関わりがあったんだな」
「やっぱりとは、お前は知っていたのか?」

今度は飛虎が聞仲に今日の出来事を説明する番だった。
天化の通う道場に斬られた浪人の一人が通っていた事、道徳の推測、それから新見大蔵に恋人がいたこと、そしてお光と新見はある人物の共通の知り合いで会った事。
勿論その人物が今回の情報を仕入れた先である事は教えた。しかしその知り合いが辰巳芸者で思わず押し倒したくなるような美人であるが実は男である、とは言えないので「新見と同じ深川に住む戯曲家」と名前を出さずに説明した。

「やはり明日から本格的に調べなくては。お光の事もどうも気になるし、こうなると今のところ一人だけ強い接点の見つかっていない廻船問屋の番頭・平助についても何かしら情報を得たほうが良いな」
「悪いが明日は仕事を休んでもらった方が良いようだな」
「構わない。どうせ今の時節植木の仕事はあまり無いから。それよりも明日の事をもう少し話そう」
「そうだな」


それから二人は長い間話し込んだ。
彼らが行灯の灯りを消して床に就いたのはまたもや九ツになろうとする時であった。






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