旗本退屈侍捕り物帳

人斬ノ唄

<十二>

今回の深川に関係のある人々が殺された一連の辻斬りに、半年前の加茂屋錦司の事件が関与しているのはほぼ間違いないだろう。
そこまでは分ったのだが、この事件を解決するには未だ情報が足りない。もう一度事件に関わった人物、特に廻船問屋の不審な死亡事件に関連のある番頭の平助、お光、伊東健司については更に詳しく調べなおす必要があると思い、飛虎は芸者の御園こと戯曲家呂望の元へと向かった。

しかし今日の向かう先は向島ではない。南八丁堀近くに儒学堂があり、名を元覚館と言った。
この元覚館の歴史はさほど長くは無いが、館長は中々の秀才で江戸の侍の間で密かに人気がある儒学堂である。しかし、この館長の燃燈という学者は失踪癖という大変困った癖を持っていた。しかもある日突然誰にも行く宛を告げずにふらりと消えてしまうので、弟子達としてはどう仕様も無い。
仕方なく、彼が失踪している時は一人の青年が教師を変わりに勤めている。それが呂望の友人普賢である。彼としてははた迷惑な事極まりないのだが、彼の師匠に命じられてしまったので断るわけもいかず、渋々その代役を務めている。
余談だがこの燃燈が辰巳芸者の竜吉の異母弟であり、保護者代理を引き受けている。



大名家の上屋敷にも匹敵する様な立派な造りの屋敷の縁側で呂望はのんびりと茶を飲んでいた。
飛虎は辻斬り事件の捜査状況について説明した。呂望も飛虎も実にのんびりした表情で茶を飲みながら話しているので傍目から見れば世間話でもしているようにしか見えない。門下生達も何人かは彼らに気付いたが、さして気にもせずに黙礼をして通り過ぎた。
ちなみに本来は呂望も此処の代理の教師をするはずだったのだが、戯曲家としての仕事が忙しいだの、何だのと言い訳を作ってその役目を普賢に任せっぱなしである。
一通り話し終えた飛虎は音をたてて茶を飲んだ。

「まったく、やっと手がかりを見つけたのに肝心のそいつが死んじまったからどう仕様も無ぇんだよ」
「ふむ…」
「『ふむ』じゃねえよ。何かお光や新見大蔵について他に何か憶えている事無いか?」
「かと言ってワシが知っている事はおぬしに話してしまったわい」

と、言って呂望は猫が後ろ足で首を掻くように襟首の辺りを掻いた。
当然のことだが、今日の呂望は芸者姿ではなく、普通の男の姿である。空色の着物に濃紺の袴の色合いと、痩身を隠す為に着ている大きい着物が逆に小柄な体系を強調していてどう見ても十代の少年にしか見えない。
松葉色の襦袢に黒の着流しを着た飛虎は、ちらりと呂望を見た。その目にはいまいましさが見え隠れしている。

「お前がそう言うとは分っていた。だから質問をこっちから用意してきたぜ」

昨日、聞仲が伊東健司の身辺を洗い出した結果、剣術の心得があり伊東に殺意を持つ可能性のある人物が数名挙がった。

「いいか。これから俺が言う名前に聞き覚えがあるかどうか答えてくれ」
「分った」
「伊予藩江戸詰中間原田、人形町のひってん(文無し)敦盛こと隼人、明石藩浪人山口、神田の烏の義衛」
「…ひってん敦盛と烏の義衛の名は知っておるが面識は無い」
「じゃあ傾介(傾城好き)の源三郎、中垣藩浪人鈴木三―――」
「知っておるぞ。鈴木三郎であろう?」
「そうだ」
「中背じゃが、目元が涼やかでいかにも傾城や芸者に好かれそうな色男であろう?」
「詳しい姿形は知らねえがいい男だって聞いた」
「では間違いない。…そやつがどうしてのじゃ?」
「殺された伊東健司の身辺を洗ったら出てきたキナ臭ぇ奴だ。で、何でお前さんはこの鈴木って奴を知っているんだ?」
「お光の常磐津の弟子…という事になっておるがきっと情夫(オトコ)じゃよ」

呂望は苦笑を浮かべたが、飛虎は思いがけぬ情報を聞き、食入るように呂望の顔を見返す。

「あれは…そうさのう、お光が斬られる五日ほど前かのう。
ワシが作った戯れ詩をお光が唄にしてくれたので<竜吉>に行くついでに唄を聴きに行ったのじゃ。
戸を開けたら目の前にいい男がいて、その男はワシに挨拶して直ぐに帰ってしまったがお光に誰かと聞いたらどこかの藩の浪人で…」
「中垣藩だ」
「そうそう、中垣藩脱藩の鈴木三郎と教えてくれたのじゃ。俳句を作るのが上手い奴であろう?」
「それは俺も知っている。で、何でお前さんは鈴木がお光の情夫だと分ったんだ?」
「確かに鈴木は色男だったが一目で浪人と分るような身なりをしておった。新しく着物を変えられぬような浪人が常磐津をわざわざ習うか?それに常磐津を習いにきているのならば三味線なり鳴り物(楽器)を持っているはずじゃろ?あやつは手ぶらで帰っていったのはしっかり見ておる」
「なるほど。それなら間違いなく鈴木はお光の情夫だな」

飛虎は顎に手を当てて無精髭を無意識に親指で撫でた。飛虎が真剣に考え込む時の癖である。
これで半年前の事件(恐らくは殺人であろう)と今回の辻斬り、そして伊東とお光が鈴木三郎という男を通じて繋がった。

「と、なると伊東に切りかかったのは鈴木だとすれば一連の辻斬りも奴の仕業なのか…?」
「そう考えるのが自然じゃの」

無意識に呟いた独り言に呂望は律儀に相槌を打いた。
しかし飛虎はまだ納得のゆく表情をしていない。眉間に皺を寄せ、無精髭を撫で続ける。
呂望は落花生を割って口に入れる。のんびりとした表情で空を見上げていると背後の障子が開いた。

「先生」

長い髪の見目麗しい青年が正座して頭を下げていた。
目元が涼やかで利発な顔立ちをした青年は呂望を盲目的に心酔している門下生の楊ぜんだった。

「どうした」
「先日、燃燈先生からこちらに見覚えが無いかと先生に申し上げるよう仰せつかりました」

と言って若草色の表紙の本を懐から差し出した。

「竜吉さんの所に行く途中で拾われ、内容が戯曲でありますから太公望先生ならば持ち主がわかるのでは、とのことでございます」

差し出されたそれを開くと確かに芝居の戯曲だった。「大江戸浮世之雲」と題されたそれは呂望の見た事の無い内容だった。どうやら未発表の作品であるらしい。
ぱらぱらと本をめくっていると一箇所で彼の手が止まった。

「これは…どう言う事なのじゃ?」

珍しく真剣な呂望の口調に楊ぜんも飛虎も彼に注目した。
当の本人は首をかしげて本をじっと見る。

「ワシとお光が作った唄が書かれておる…」

飛虎が呂望の手元を覗き込む。呂望は一旦本を閉じると最初の頁を開きなおした。
題名の左下に鮮やかな字で書かれた作者名に呂望は眉間に皺を寄せ、飛虎は目を見開いた。

「新見大蔵…?何故奴がこの唄を知っておるのじゃ?」

呂望が呟く。
飛虎が顔を上げ、至近距離で呂望を見る。

「おい、もしかして新見はこの唄を知ってしまったから…」

(犯人からこのお光の唄を聴いてしまったから、口封じの為に殺されてしまったのでは?)

沈黙が三人の間に流れる。
事情は飲み込めぬが何ならぬ緊張を感じた楊ぜんが二人の顔を窺いながら口を開いた。

「あの…」
「楊ぜん、こいつを拾ったのは燃燈なのじゃな?」
「はい、半月ほど前に」

呂望の鋭い声に楊ぜんは表情を厳しくする。
飛虎は茶を縁側に置くと立ち上がった。待てと呼びかける呂望の声にも気付かずに飛虎は楊ぜんの隣を過ぎて廊下を走り出した。

呆然と飛虎の背中を見送る楊ぜん。
呂望は溜息混じりに呟いた。

「燃燈はまた何処かに行ってしまったのに…」






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