旗本退屈侍捕り物帳

人斬ノ唄

<十四>

蒲団の中で寝ている聞仲の枕元には蝉玉、大屋の女房のおきんが座り、少し離れて発と小柄な男が座っていた。
薄暗い明かりの中、四人は無言で眠る聞仲の顔を見る。
蝉玉が肩の辺りの乱れを直そうと蒲団に手を伸ばそうとした時、聞仲の家の戸が勢いよく開かれた。
どたどたと大きな音をたて、侵入者は四人が迎える前に襖をがらりと開いた。勢い余って左右に全開された襖が小気味の良い音を立てた。

「聞仲っ」

飛虎は襖を閉じるのも忘れ、母を求める子供の様に聞仲に駆け寄ろうとする。
とっさに発が立ち上がって飛虎の大きな身体を抱え込んで制止した。

「大丈夫だ、聞仲さんは平気だ」
「お医者さんも今は眠っているだけだって言ったし、大丈夫よ。だから静かにして」

聞仲を気遣って小さいがはっきりと言う発と蝉玉の声に飛虎は我に返った。
飛虎の体から力が抜け、目に冷静さが戻ったのを確認してから発は両手を離した。蝉玉はそっと立ち上がり、静かに襖を閉める。
往来の注目を集めるのも無視し、長屋に着いてから住人達が呼び止めるのも無視して駆けつけた飛虎は着物の裾を帯に差し込んだままで、髪は乱れ、汗と埃にまみれていた。
粋を大切にする飛虎の豹変振りだが、本人は全く気付いていない。
おきんは年上の貫禄を見せて手桶の脇に置いていた濡れ手拭を差し出した。

「ホラ、何て格好しているんだい。着崩れなおして顔をお拭き。色男が台無しだよ」

飛虎はその時になって自分の姿に気付いた。緩んだ帯を締め直し、裾と襟元を元に戻すと手拭を受け取り、顔や手を拭った。
それを見ておきんはおもむろに口を開き始めた。

「天化から話を聞いたのかい?」
「ああ。紫陽館にいたら天化が走ってきて、辻斬りに遭ったと…」
「おや、あの子ったら。ホラ見て御覧よ、この通り太師屋さんは斬られてないよ」

飛虎は蝉玉と発の間に座り込むと聞仲の顔を覗き込んだ。確かに顔や蒲団から覗く首等には一切の苦悶は感じられない。

「多分ありゃ峰打ちだとおもうぜ。チットは切られたがそいつはかすり傷だ、安心しなさいや」

発以外の男の声に話しかけれ、飛虎が聞仲から視線を外し振り向く。発の隣には小柄だが体格の大きい男がいた。

「土行孫…」

スキッ歯が間抜けな愛嬌のになっている土行孫は珍しく真剣な顔をして飛虎に頷き返した。
何故、この男がいるのだろうと飛虎が疑問に思ったと同時に蝉玉が答えていた。

「ウチの人が見つけてくれたのよ。仕事帰りに偶然聞仲さんが襲われているのを見かけたの」
「驚いたぜ」

土行孫はその時を思い出しながら飛虎の己を見つめる視線に応えた。

「もう薄暗い時間だった。物音がしたから気になって小道を覗いたらこの人が倒れてやがったんだ。運がいい男だよ、烏一匹鳴き声がしていたら聞こえねえ程の小さな物音だったしあの道は猫も滅多に通らねぇほどの道だからな。俺が気付かなかったら今でも道端で倒れていただろうよ」
「で、コイツが倒れていた聞仲さんの傍にあった『太師屋』の箱を見て蝉玉の話していた植木職だと気付いて此処に連絡してくれたんだよ」
「発ちゃんには医者を呼ばせに走らせて、足の速い天化にはお前さんを探しに行かせたのよ。やっぱりあの子は足が速いね。こんなにお前さんが早く此処に戻って来るとは思いもしなかったよ」

土行孫の言葉についで発とおきんの説明を聞いているうちにやっと飛虎はいつもの冷静さを取り戻した。おきんの方を振り向いて片頬で苦笑した。

「済まねえ、動転しちまってあいつを紫陽館に置いて来ちまったよ」
「気にしなくてイイよ、あの子も走って疲れているから一休みしてから帰って来るだろうさ」

四人は眠っている聞仲が気になって次第に部屋は静かな沈黙に包まれた。
灯りが何処からか入ってくる隙間風で左右に揺れる度に彼らの背後の影が揺れる。聞仲の顔にある影も揺れ、変わらないはずの表情に不安げな印象を彼らに与えた。
蝉玉が誰に問うわけでもなく、独り言を呟いた。

「どうして聞仲さんが襲われなくちゃいけないのよ」
「そうだねぇ。何一つ盗られていないから物取りでも無いし…」

と、おきんが呟くように返事をした時だった。「ん・・・・」と小さな声を喉の奥から漏らしながら聞仲の瞼が動いた。

「太師屋さん?」
おきんが呼びかけるが聞仲の瞼は未だ開かない。身体を無意識に動かし、頭を左右に振る。弱い灯りを反射して淡く輝く金の髪が頬にかかった。
蒲団から畳の上にはみ出た手の上に飛虎が己の手を置き、上身を前に突き出す。

「聞仲?!目を覚ましたか?」

飛虎の声が合図だったかのように聞仲の目がぎゅっと堅く瞑られてからゆっくりと開いた。
覚醒しきっていない聞仲の視界の正面には飛虎がいた。自信と余裕に溢れたいつもの姿からは考えられない、母を無くした子供のような不安で今にも聞仲に縋りつきそうな表情だった。

「飛虎…。なんて表情しているんだ」

口元に小さな苦笑が浮かべられる。
その美しい微笑みに発達四人は聞仲に声をかけるのも忘れて見とれてしまった。
しかし飛虎は一向に気にしない。やっと安心した表情で聞仲の顔を至近距離で見返す。

「良かった。大丈夫なんだな?」
「ああ。そんな顔をしなくても平気だ」
「お前が目覚めなかったらどうしようかと思って…」

聞仲は半身を起こそうとして手を動かそうとする。しかし片手がしっかりと飛虎に握られていた。その時になって聞仲は自分の置かれている状況に気付き、飛虎以外の周囲を把握し始めた。慌てて手を払い、蒲団の上に正座する。

「おきんさんに皆さん、申し訳ございません」
「何言っているのよ、聞仲さん」
「いいえ、私が醜態を曝したばかりに皆様にご迷惑おかけしてしまいました」
「バカな事言うんじゃないよ、太師屋さんが悪いわけじゃないんだ。悪いのはあんたを襲ったろくでなし野郎だよ」
「けれど皆様にこんなにご迷惑をおかけして、申し訳ございません。皆様お疲れでしょうからどうかお休みください。私ならばもう大丈夫でございます」

確かに夜は更け始めていた。此処の住民ではなく、また看病も出来ない姫発や土行孫等は帰ったほうがいい時刻である。聞仲本人のきっぱりとした口調で勧められたのであれば帰らざるを得ないとも思い、彼らは立ち上がった。
するとおきんは隣の蝉玉にそっと合図をして立ち上がらせる。土行孫を途中まで見送りたい気持を同性ゆえに直ぐに気付いたのだ。
羽織に袖を通してから振り向きざまに飛虎を見る発。

「あんたはどうするんだ?俺の家に来るか?」
「いや。俺は残る」
「飛虎さん、アンタまだ此処に居候する気かい?」

少し気分を害したおきんに対して飛虎は苦笑で返事した。

「逆だよ。何日も俺を泊めてくれたからせめて俺が面倒見させてもらいたいんだよ」
それにおきんさんも疲れているだろ?と付け足した。おきんは残って聞仲の面倒をみるつもりだったのを飛虎は既に察知していた。

「あんたは家に帰ったら旦那と子供の面倒見なくちゃ駄目だろ?仕事も無ぇ暇人でこの家の勝手もよくわかる俺がやったほうがいいだろ?」
「でも平気かい?」

心配げに飛虎の顔を見るおきんを聞仲がなだめた。

「おきんさん、ご安心を。飛虎は料理が上手だし、私の怪我も大した事ありませんから」
「そうかい?まああんたが言うなら私は帰らせてもらうよ」
「ご迷惑をおかけしました」
「またそんな遠慮して…。明日又来るからね」

そう言うとおきんと姫発達は家を出た。
彼らを見送った飛虎は部屋に戻ると羽織に袖を通して立ち上がろうとする聞仲を慌てて押しとどめた。

「何やっているんだよ、寝てろ」
「しかし」
「いいからっ」

いくら聞仲が平均男子よりも長身で体格が良いとは言え、飛虎の様な巨躯に押しとどめられては抵抗もままならない。あっという間に羽織を取り上げられ、再び蒲団の中に押し込められてしまった。
眉間にしわを寄せ、自分は病人ではないと抗議をしようと聞仲は飛虎の顔を見たが、その顔を見て言葉を失ってしまった。
真摯に、自分を心から心配する瞳を飛虎はしていた。ほつれた髪が額にかかり、普段と全く違う印象を与えている。

「済まない…」

聞仲は無意識のうちに言葉を発していた。
頭を左右に振ると飛虎は優しく聞仲の髪を右手で梳く。

「お前が無事だったのならばそれで良い。…斬られたと聞いたときには心が潰れる様な思いだったぜ」
「飛虎…」

二人は互いの目を穏やかに見詰め合う。心地の良い沈黙の中で二人の雰囲気は次第に別の甘い空気へと変わっていき、またその甘い空気がより濃密なものへとなろうとしていた。
しかしその時、襖の向こうの戸口で物が崩れ落ちる音がして二人は我に帰った。

飛虎は髪から手を離し、立ち上がる。
聞仲は優しい飛虎の手に我知らず陶酔していた事に気付いて頬を染めた。

戸口で飛虎が見渡すと、聞仲の仕事道具の箱が倒れていた。先ほど土行孫が箱の名を見て聞仲だと分かったと言っていたし、恐らく彼が一緒に持ってきてくれたのであろう。
飛虎は箱を抱えると聞仲の前に置いた。

「土行孫が運んできてくれたみてぇだが、慌てて持ってきたみてぇだから中身ぐちゃぐちゃだぜ」
「ああこれではいけないな…」

ため息混じりに半身を起こすと、聞仲は道具を一つ一つ手にとって元の場所に戻し始めた。
大方が終わりかけた時、聞仲の手が止まり眉間に微かな皺が寄せられた。

「飛虎。…もう一度戸口に何か残されていないか見てくれないか」
固い口調に飛虎は先に問わずにその言葉に従う。もう一度立ち上がり、戸口を見る。

「無いぜ、何も」
開いた襖越しに振り返ると聞仲は更に表情を硬くした。蒲団を握り締める右手に力が篭る。
飛虎は聞仲の目を覗き込む。

「聞仲?」
「…大鋏が無い。一番大きい太い幹も切れる鋏(ハサミ)だ」
「どう言う事だ」
「分からぬ。確かに何者かに襲われる前には持っていた。だが、今無いとなると…」
「襲った仕手が持ち去ったって事か」
「…そう考えるべきなのだが、しかし飛虎。何故、仕手は大鋏など盗んだのか?
いや、それ以前に仕手はそれを盗むために私を襲ったのか?」


聞仲の問いに飛虎は答えを見つけられずに黙り込んだ。
それっきり二人の口は重くなり言葉数が一気に減ってしまった。



犬の遠吠えが、夜に響いた。





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